第42回 さらば、ヨーロッパ(4)
晩冬の陣、ナント、早々とチャンピオンズリーグで敗退

 欧州カップで年を越えることができたのはナント、リール、リヨンの3チーム。チャンピオンズリーグの二次リーグの第3戦と第4戦、UEFAカップ4回戦が2月下旬に行われ、ベスト8を目指した。

■マンチェスター・ユナイテッドと連戦、ロスタイムに痛恨のPK

 まず、チャンピオンズリーグの二次リーグで連敗スタートのナント、今季国内リーグ戦でも不振である。第3戦と第4戦は同じ相手と戦い、そのインターバルは1週間、この連戦の結果が大きなターニングポイントとなる重要な試合である。その相手は強豪マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)、2月20日にホーム、2月26日にアウエーで対戦した。勝ち点0のナントが是非とも勝ち点3が欲しいホームの試合はいよいよキックオフ。マンチェスター・ユナイテッドの先発メンバーにはファビアン・バルテス、ローラン・ブラン、ミカエル・シルベストルという3人のフランス人、ボージョワールの大観衆のブーイングを浴びての戦いである。試合は劣勢を予想されるナントが先制点、9分にルーマニア代表のビオレル・モルドバンがゴールをあげ、地元ファンを熱狂させる。試合はマンチェスター・ユナイテッドが終始押し気味に進めるが、同点に追いつくことはできない。64分には1999年のチャンピオンズリーグ決勝戦の記憶も鮮明なノルウェー代表のオレ・グンナー・スールシャールを投入するが、ナントのゴールを開けられない。そして試合はロスタイム。ここでナントDFのコロンビア代表のマリオ・ジェペスがペナルティエリア内で痛恨のハンド。昨年の南米選手権優勝の立役者であり、低迷するナントが今年初めにリバープレートから獲得した鉄壁のDFであるが、最初の国際試合は苦い思い出となった。結局、オランダ代表のルート・ファン・ニステルローイがPKを決めて1-1のドロー。ナントにとっては負けに等しい引き分けとなったのである。

■オールドトラフォードで記録的大敗

 翌週のオールドトラフォードでの試合は悲惨なものになった。まず、17分にフレディリック・ダローシャのゴールでナントが先制。しかし、その1分後、ダビッド・ベッカムが同点ゴール。その後はマンチェスター・ユナイテッドのゴールラッシュ。終わってみれば5-1いう大量失点を喫する。フランスのクラブがチャンピオンズリーグの前身であるチャンピオンズカップで5失点以上したことはない。チャンピオンズリーグとなってから1997-98シーズンでパリサンジェルマンがバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)に、1999-2000シーズンでマルセイユがラツィオ(イタリア)にそれぞれ1-5で敗れただけであり、40年以上になる欧州カップの歴史の中でもフランス勢として通算20回目という非常に不名誉な敗戦となったのである。

■2試合を残し、早々と二次リーグで敗退決定

 結局、4試合を消化した段階でグループAは首位マンチェスター・ユナイテッド(勝ち点8、得失点差+7)、2位バイエルン・ミュンヘン(勝ち点8、得失点差+2)、3位ボアビスタ(ポルトガル)(勝ち点4、得失点差-3)、最下位ナント(勝ち点1、得失点差-6)となり、ナントは敗退が決定した。二次リーグに出場している16チームのうち2試合を残して早々と敗退が決定したのはナントだけである。

■過去の十八番も4年連続で準々決勝進出を逃す

 チャンピオンズリーグ(前身はチャンピオンズカップ)はフランスの十八番とも言える大会であった。しかし、これで4年連続してベスト8に残ることができなかった。過去15年間の成績を振り返ると1987-88シーズンから1997-98シーズンまでの11シーズンでフランスのクラブの成績は優勝1回(1992-93:マルセイユ)準優勝1回(1990-91:マルセイユ)、ベスト4進出5回(1989-90:マルセイユ、1993-94:モナコ、1994-95:パリサンジェルマン、1995-96:ナント、1997-98:モナコ)、ベスト8進出3回(1987-88:ボルドー、1988-89:モナコ、1996-97:オセール)とベスト8進出を逃したのはわずか1回であった。しかし、4年連続の失敗は単なる代表クラスの選手の海外流出にとどまらない大きな原因があるのではないだろうか。(続く)

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