第3607回 パリサンジェルマン、ハンドボールチーム訪日(1) 戦争中に始まったフランスのハンドボールの歴史

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■シーズンオフにも試合やツアーのある実績と人気を兼ね備えたチーム

 日本ではサッカーのJリーグがシーズンを秋春制に移行することが話題になっているが、欧州では多くのスポーツが秋春制で行われている。これは欧州の学制が9月から新年度ということも影響しているであろう。多くのスポーツチームが初夏にシーズンを終え、夏の暑い時期はシーズンオフを迎え、秋からの新シーズンに備える。そのような中で本連載で取り上げたパリサンジェルマンのようにシーズンオフもクラブワールドカップ、UEFAスーパーカップ、プレシーズンマッチなどの試合が目白押しのチームがある。実績と人気を兼ね備えたチームならではの悩みであろう。これと同じケースのチームがハンドボールのパリサンジェルマンである。

■戦争中のドイツ占領下に始まったフランスのハンドボール

 フランスにおいてフランスハンドボール連盟が創立したのは1941年、フランスリーグが始まったのは1942年のことである。戦争中に競技団体が設立され、リーグが始まったということは占領していたドイツ、ナチス・ドイツの政策に従順であったヴィシー政権の影響があったことは否めない。ハンドボールはドイツ生まれのスポーツなのである。本連載第3592回から第3599回で戦争中のフランスサッカーについて紹介したが、ナチス・ドイツが占領下のフランスのスポーツに影響を与えたものの1つがハンドボールであろう。創設当時は11人制のスポーツで屋外でプレーするものであったが、1952年には屋内の7人制のリーグ戦が始まり、現在に至っている。

■1980年代終わりにプロ化、国際大会では好成績

 ちょうどサッカーでビッグマネーが動くようになった1980年代の終わりに、ハンドボールにもプロ化の波が訪れた。フランスのハンドボールのプロ化を推進したのは東欧からの外国人選手であったが、これがフランス人選手のレベルを引き上げ、フランス代表は1990年代以降はオリンピック、世界選手権、欧州選手権で好成績を残している。初のビッグタイトルは1995年の世界選手権であるが、2008年の北京オリンピックで人気に火が付き、現在では毎週1試合はハンドボールの試合がテレビ中継されるようになっている。さらにフランス各地で近代的なアリーナが建設されるようになった。

■パリ近郊のアニエールで誕生したパリサンジェルマンのハンドボールチーム

 フランスリーグも当初は警察や企業などのチームが中心であったが、現在ではフランスだけではなく世界のスーパースターが集っている。このフランスリーグで11連覇しているのがパリサンジェルマンである。
 このクラブの歴史をまず紹介しよう。クラブが創立したのはフランスハンドボール連盟と同じ1941年、パリ北西のアニエールでパトリオット・アニエールという名前で生まれた。1945年にはパルク・デ・プランスで行われたフランスカップで決勝に進出している。当時はハンドボールは屋外スポーツであった。
 1987年に最初の転機が訪れる。クラブの経営陣がハンドボールのビッグクラブを作るためにパリ市にアプローチする。サッカーのパリFCがサンジェルマン・アン・レーと合併したのと似ている。パリ・アニエールというチームとなり、スター選手も獲得する。
 そして1992年にパリサンジェルマンがビッグクラブ宣言をし、総合型スポーツクラブを目指し、バレーボール、バスケットボール、ゴルフ、柔道などの部門を開設する。そしてハンドボールについてはこのパリ・アニエールを吸収することになり、クラブはパリサンジェルマン・アニエールとなった。
 パリサンジェルマンが総合型スポーツの意欲を失いつつあった2002年、サッカーのモンペリエのオーナーであるルイ・ニコランがこのクラブを買収する。ニコランはフランス各地の様々なスポーツチームを買収し、パリ・ハンドボールというクラブになったが、フランスリーグでは優勝することができなかった。
 創設以来70年間、リーグチャンピオンになることができなかったクラブが現在の姿に変化したのは2012年のことであった。(続く)

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