第3回 スタッド・ド・フランスのホームチームはどこに

■フランス代表はワールドカップまでスタッド・ド・フランスで試合をしない

 前回はスタッド・ド・フランスが完成するまでのことを取り上げたので、今回はスタッド・ド・フランスの今後について取り上げてみよう。
 1月28日にオープンしたスタッド・ド・フランスでは、その後五カ国対抗ラグビーが行われ、2月7日のフランス-イングランド戦、3月7日のフランス-アイルランド戦ともフランスが勝利を収めた。次にサッカーの試合が行われるのは、4月4日のリーグカップ決勝のパリサンジェルマン-ボルドー戦である。続いて5月2日には伝統のフランスカップ決勝。5月11日の奴隷制度廃止150周年を記念したマラソンサッカーのフェスティバル、5月16日のラグビーのフランス選手権の決勝を経て、6月10日のワールドカップ開幕を 迎える。
 すなわち、オープニングゲームで幸先よくスペインを下したフランス代表であるが、ワールドカップ本大会までこの新しいスタジアムでの試合は予定されていない。また、このスタジアムを本拠地とするサッカーチームもない。
 このスタジアムの最大の問題はオープニングゲームで指摘された芝生の質でも交通の便でもない。それはこのスタジアムを利用しようとするサッカーチームがないことである。このスタジアムを本拠地としうるチームは二つ考えられる。まず一つはフランス代表。もう一つはパリ唯一のプロチームであるパリサンジェルマン(PSG)である。

■パリサンジェルマンは2つのクラブの合併の産物

 フランス代表は長い間ホームゲームはパリ(コロンブならびにパルク・デ・プランス)で行い、パリ以外での都市での試合は年間1試合あるいは2試合であったが、1994年からホームゲームは、イタリア代表のように国内各都市で分散して行っている。この理由については機会を別にして詳しく述べたい。
 一方、年間少なくとも17試合のリーグ戦に加え、フランスカップやリーグカップという国内の試合及び欧州三大カップを開催することができるパリサンジェルマンの場合はどうだろうか。
 1980年代後半の新スタジアム建設計画の時点から、各候補地はパリサンジェルマンも誘致してきた。パリサンジェルマンはパリ近郊のサンジェルマン・アン・レーという町のクラブとパリのクラブが合併してできたという欧州では極めて珍しい人造のサッカークラブである。また、設立時期もパルク・デ・プランスの改装時期と同じという若いクラブである。練習場はサンジェルマンにあり、ホームスタジアムのパルク・デ・プランスはパリにある。パリ市内には高級ブティックの並ぶサンジェルマン・デ・プレという場所があり、フランス人でもサッカーにあまり興味のない人はサンジェルマンとはサンジェルマン・デ・プレのことで「パリとサンジェルマン」ではなく「パリのサンジェルマン」だと思いこんでいる。パリ近郊まで含めても2部リーグにサントゥーアンを本拠地とするレッドスターがあるだけで、欧州でこれだけの大都市でプロチームが独占状態にある町は他にはない。

■スタッド・ド・フランスを本拠としないいくつかの理由

 そんなわけでセ・リーグの阪神タイガースのように大市場を独占し、勝っても負けても観客動員ができる環境にある。このような魅力的なチームを大スタジアムに誘致することは定常的な収入を確保するためにも必要である。しかしながら、パリサンジェルマン側はこのオファーを断り、パルク・デ・プランスを引き続きホームスタジアムとすることを決定している。
 この決定はまず、パリとサンジェルマン・アン・レーという二つの自治体から、それ以外の自治体でホームゲームを行うということに対し抵抗があったからである。リーグカップの予選リーグなどではパルク・デ・プランス以外のスタジアムを使用することはあるが、あくまでもパリ(サンジェルマン)のチームであるということにこだわった。
 また、パルク・デ・プランスの収容人員は48,527人。パリサンジェルマン主催の試合で満員になることは年に数回。リーグ戦に限れば宿敵マルセイユ戦ぐらいである。従ってクラブとしてはこれ以上のキャパシティは特に必要はない。

■地域とファンに密着したクラブの経営

 むしろ、このホームスタジアムの移転に伴い、これまで築き上げてきたファン層に変動が起こることをクラブとして恐れたためである。前回の地図にもあるようにパルク・デ・プランスの立地はパリ市の南西端で高級住宅街の中にある。一方サンドニはパリ市周辺の中では比較的治安の悪い地域である。パリサンジェルマンはリーグ戦で平均3万人以上の観衆を集めるが、そのうち2万人は年間予約席を持っている。彼らのスタジアムまでの足は地下鉄である。一方、サンドニのセールスポイントはシャルル・ド・ゴール空港やTGV(日本の新幹線)の駅から近いということであり、地下鉄を利用する地元のファンにとってアクセスが悪くなる。
 また、クラブの事務所もパルク・デ・プランスに併設している。パリという名は冠しているが実際にはパリ市のかなり狭い地域に根ざしたクラブの運営を行っている。ロンドンの名門アーセナルがウェンブリー移転を何度も検討しながら、結局ハイベリーに留まっているのと通じるものがある。日本のプロ野球でも、オリックスは観客がそれほど阪急沿線に集中していないことを確認してから西宮から神戸に移転したという。
 一方、スタッド・ド・フランスの使用を唯一受け入れたのがラグビーの代表チームである。これは観客のほとんどが飛行機または鉄道を利用してパリに来るからである。スタッド・ド・フランス側では、オープニングゲームにパリサンジェルマンの幹部を招待し、来季は数試合を試験的に開催し、1999年には全試合を開催してもらいたいと誘致を続けている。

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