第69回 フランスカップ、カレーの快進撃

■英仏海峡の港町カレー

 前回、イギリスで最もフランスを感じさせる町、チェルシーをご紹介したが、今回はフランスで最もイギリスに近い町カレーを紹介しよう。
 カレーは、英仏海峡トンネルの開通によって港町としての機能は少なくなったものの、イギリスのドーバーからわずか38キロメートルにある、フランスを代表する港町である。英仏間に横たわる海峡は、英語や日本語ではドーバー海峡であるが、フランス語ではカレー海峡である。町には両替商、土産物屋が建ち並び、フランス語と英語が行き交うカフェではイギリス人がフィッシュアンドチップスを英語で堂々と注文している。1189年に十字軍遠征でリチャード獅子王が上陸して以来、イギリス人にとってカレーは欧州大陸の玄関なのである。
 この海峡の町は二度の苦難を経験している。まず、百年戦争(1337~1475)の間の1348年、イングランド王エドワード?世は8カ月の兵糧攻めでこのカレーの町を降伏させ、以後200年以上にわたり、イングランド領とした。兵糧攻めの際、ウスタッシュ・ド・サンピエールをはじめとする6人のカレー市民がすすんでエドワード?世の人質となり、市民の虐殺を救った。この勇気ある行動をブロンズ像にしたのはロダンである。1895年に制作された「カレーの市民」は市役所前の広場にそびえ立っている。もう一つの苦難は第二次世界大戦である。この戦争で町の大半が破壊され、全く新しい都市が建設されたのである。

■今年も続出したジャイアントキリング

 さて、昨年のフランスカップは、1部リーグのチームが続々と初戦などで敗退しながらも、ナントがカップを獲得した(第38回と第47回を参照)。ところが、今年はベスト32決定戦の組み合わせの段階で驚きの声があがった。ベスト32決定戦から1部リーグの18チームが出場するが、1部リーグ同士の対戦がなく、1部の9チームが敗退した昨年とは逆に、全チームが勝ち残るのではないかという1957年以来の期待がかかったのである。
 ところが実際にはジャイアントキリングが続出し、オセール、ランスなど6チームが初戦で姿を消した。ベスト16決定戦、ベスト8決定戦と進み、準々決勝に残ったのはリーグを独走するモナコ、昨季の覇者ナントなど1部リーグ所属の6チームと、2部のニーム、そして4部リーグに相当するCFA(アマチュアリーグ)に所属するカレーであった。4部リーグ以下のチームが準々決勝に進出するのは第二次大戦後6回目のことである。

■赤と黄色に染まったスタジアムでストラスブールに逆転勝ち

 ストラスブールとの準々決勝はカレーのホームゲームであるが、大観衆を収容するためにランスのフェリックス・ボラールを借用して行われた。カレーが本来のホームスタジアムである4,500人収容のジュリアン・ドニ競技場で行ったのはベスト16決定戦までで、ベスト8決定戦ではグリネ岬の向こうにあるブローニュ・シュール・メールのリベラシオン競技場に7,000人の観衆を集めて行われた。
 ワールドカップの決勝トーナメント1回戦のフランス-パラグアイ戦にも使われ、今シーズンはUEFAカップでもたびたび使用されているフェリックス・ボラールには35,000人の観衆が集まった。15,000枚以上のチケットがカレー市内で前売りされ、バスだけで250台が200キロメートル以上離れたランスに向かった。カレーのチームカラーは本連載の第34回で紹介したランスと同じ赤と黄色。フェリックス・ボラールは通常のホームゲーム同様に「血と黄金」に染まったのである。
 名将クロード・ルロワの率いるストラスブールは、6分にオリビエ・エシュアフニが先制点をあげる。それに対し、スペイン生まれで幼少時にフランスに移り、選手としてはジュニア時代しか実績がなく、監督としては下部リーグのチームを歴任してきたラディスラス・ロザーノ率いるカレー・イレブンは、大声援を受けて39分にクリストフ・オガールが同点ゴール、そして前半終了直前の45分にはジョセリン・メルランが逆転ゴールを決めた。後半、ストラスブールは追いつくことができず、歓喜の中で試合終了。CFAのAグループ8位のカレーは、4回戦から出場して9連勝(ベスト32決定戦は9回戦に相当する)、フランスカップ準決勝進出を決めたのである。

■4部チームの準決勝進出はフランスカップ史上初

 フランスカップは80年以上の歴史を誇るが、1932年のプロ化以降でアマチュアチームが準決勝に進出したのはこれまでただ1回、1967-68年のシーズンのUSクビイーだけ。しかも、4部リーグに相当するリーグのチームが準決勝に進出したのは初めてのことである。
 カレーは1902年に設立し、1933年にプロ化、5シーズン2部リーグで活動した後、アマチュアチームとして3部あるいは4部で長い間活動してきた。しかし、ほぼ半世紀後の1981年に2部に復帰し、プロとして活動をする。ところが2部での活躍も1年間だけで、3部に降格してからその後は再びアマチュアとしての活動となり、1993年からは4部での活動となる。選手は他に職業を持ち、半数はカレーで生まれ育った選手である。15%以上という高い失業率に苦しむカレー市民にとって、フランスカップでの準決勝進出はまさにウスタッシュ・ド・サンピエールとその仲間たち以来の英雄の出現となったのだ。
 4月12日のフランスカップ準決勝はボルドーを迎えることになった。もう一つの準決勝の組み合わせはモナコ-ナント、5月7日のスタッド・ド・フランスでの決勝を目指す戦いの興味は尽きない。

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