第68回 ロンドンのフレンチタウン、チェルシー

■フランス人にとって特別な地域

 今シーズンから大会の方式が大幅に変更された欧州チャンピオンズリーグ。フランス・リーグからは昨シーズンのチャンピオンのボルドー、2位のマルセイユが2次リーグに進出した。しかしながら、2次リーグでマンチェスターユナイテッド(イングランド)、フィオレンティナ(イタリア)、バランス(スペイン)とともにグループBに入ったボルドーは、ホームとアウェーでフィオレンチナに引き分けただけで、2分4敗の勝ち点2、グループ最下位に終わった。一方、グループDのマルセイユも出足が悪く、ホームでラツィオ・ローマ(イタリア)、アウェーでフェイエノールト(オランダ)に完封負け。無得点のまま第3節を迎えることになった。第3節と第4節の相手はイングランドのチェルシー。同じ相手とホームアンドアウェーで戦うことから連勝すれば流れも変わる。
 チェルシー、日本の皆さんはこの地名を聞かれて何を想像するであろうか。ボスマン判決によって多国籍軍となったサッカーチームであろうか。1955年にマリー・クワントがミニスカートを発表したという流行の最先端をいくファッションの街であろうか。それともパンクロック発祥の地であろうか。1913年に始まり、世界最高峰と言われるチェルシーフラワーショーであろうか。しかし、フランス人にとってはチェルシーは特別な意味のある地域である。

■チェルシーは世界最大のフレンチタウン

 ロンドン西部のチェルシーは高級住宅地であり、シックな町並みである。また王室との縁の深い地域である。このロンドンを代表する高級住宅街の一角にあるのがフランス大使館である。またフランス人学校、リセ・フランセ・シャルル・ドゴールもある。このように大使館とフランス人学校があることから多くのフランス人が居住している。花屋の多い美しい街にフレンチレストランやオイスターバーなども点在する世界最大のフレンチタウンなのである。
 高級住宅街は往々にして外国人が居住することになるが、チェルシーはその街の誇る多国籍サッカーチームとは裏腹に、外国人の住民は圧倒的にフランス人が多い。もちろんマドンナのようにフランス人以外も居住しているが、マドンナの場合も愛娘を先述のフランス人学校に入学させるためにニューヨークから転居してきたのである。ミシュランの星付きレストランもあり、イギリスでおいしいものは食べられない、というのはこのチェルシーには当てはまらない。まさにチェルシーは海の向こうのフランスなのである。
 このシックでスノッブなチェルシーとの対戦でマルセイユが闘志を沸かさないはずはない。シック、スノッブ、これらの単語はパリジャンのために使われるのであり、マルセイユにとって多国籍軍団チェルシーを倒すことは宿敵パリを倒すことである。2連敗と出足でつまずき、このチェルシー戦で連勝しないかぎり5月24日のスタッド・ド・フランスでビッグイヤーを争うことはできない。

■13カ国からなる「多国籍軍」

 さて、チェルシーFC(奇しくもブルーのユニフォーム)は、1905年創立ながらリーグ制覇はわずか1回、しかも40年前のことである。しかし、FAカップを2回獲得し、欧州カップウィナーズカップも2回獲得という成績を残している。実は本拠地では1958年以来欧州三大カップで32試合連続で負けがないという記録を持っているのである。このように欧州カップで強さを発揮するというのも、流行の最先端の地で世界中の人が集まってくるというクラブの活動基盤となる地域の特性を象徴しているのであろうか。
 チェルシーは1990年代後半以降豊富な資金を使い、ボスマン判決以降は世界中からスター選手を集めることになった。そして現在では24人の外国人選手を抱える多国籍集団となったのである。イタリア人が最大勢力で選手兼任監督のジャンルカ・ビアリ、ジャンフランソワ・ゾラ、ロベルト・ディマッティオなど8人、そして続くのはフランス勢の4人である。1996年に移籍してきたフランク・ルブッフ、フランス代表主将のディディエ・デシャン、フランス代表の中心選手であるマルセル・デサイーのワールドカップ優勝トリオとボルドー出身のベルナール・ランブルドである。
 チェルシーは彼らフランス人にとってホーム同然の街、4人ともレギュラーに近い出場歴である。オランダ勢がGKのエド・デフーイなどの2人であり、それ以外にナイジェリア代表で先日のアフリカ選手権でも活躍したセレスティン・ババヤロ、ルーマニアのダン・ペトレスク、スペインのアルベルト・フェレール、ノルウェーのトーレアンドレ・フロー、リベリアのジョージ・ウェア、ウルグアイのグスタポ・ポジェなど、合計13か国から精鋭がチェルシーの本拠地スタンフォード・ブリッジに集結しているのである。

■マルセイユの野望を砕いたデニス・ワイズのゴール

 マルセイユとチェルシーの戦いはまず2月29日、マルセイユの本拠地スタッド・ベロドロームで行われた。デシャン、デサイーの二人はマルセイユの一員としてこのスタジアムを何度も熱狂させたが、敵として戻ってきた。チェルシーは欧州カップ70試合目にしてこれが初めてのフランスのクラブとの対戦となる。一方のマルセイユも今まで2回イングランドのクラブをベロドロームに迎えたが、2回とも勝っており、チェルシーに勝って2次リーグ初勝利を狙いたいところである。
 試合はマルセイユが今シーズン最高とも言える内容を見せた。16分にロベール・ピレスが右足でシュート、ポストに当たって先制点となる。1991年にチャンピオンズリーグという試合形式に変更されてからフランスのクラブとして100点目というメモリアルゴールであった(ちなみに1点目は当時マルセイユに所属し現在ラツィオ・ローマのアレン・ボクシッチである)。後半のチェルシーの反撃を抑え、1-0で先勝、勝ち点3を獲得し、翌週のロンドンでの試合結果によってはトップに躍りでることも可能となった。
 そして3月8日、舞台は海を渡りロンドンのスタンフォード・ブリッジ、闘志満々のマルセイユの野望を砕いたのは前半27分の主将デニス・ワイズのゴールだった。サッカーチームでは外国人選手、住民ではフランス人ばかりが注目を浴びるチェルシーであるが、このワイズはチェルシーと同じ行政区に属するケンジントン出身の地元の選手。ウィンブルドンでプロ契約し、ご当地チェルシーには1990年から所属している。ワールドカップ・イングランド大会の年に生まれ、イングランド代表歴も14試合ある33才のベテランがロンドンの名門チェルシーの伝統を守ったのである。

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