第3730回 フランス勢と欧州カップ準決勝(1) 13番目の準決勝進出チームとなったストラスブール
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■チャンピオンズカップの創成期にレアル・マドリッドに敗れたスタッド・ド・ランス
前回までの本連載でチャンピオンズリーグのパリサンジェルマン、カンファレンスリーグのストラスブールがともに準決勝に進出したことを紹介した。準決勝は第1戦が4月29日から、第2戦が5月5日から行われる。欧州カップの決勝戦は1回戦制であるため、ホームアンドアウエー方式での戦いはこれが最後となる(かつてはUEFAカップは決勝もホームアンドアウエー方式で行われていた)。
ここでフランス勢にとっての欧州カップの準決勝進出の意味を考えてみよう。
前回の本連載で紹介した通り、ストラスブールは初めて欧州カップの準決勝に進出した。ストラスブールはフランスのクラブ(モナコ公国を含む)で欧州カップの準決勝に進出した13番目のチームとなった。
フランス勢で最初に準決勝に進出したのは欧州カップの初年となる1955-56シーズン(以降は準決勝の行われた年の1956年のように表記する)のチャンピオンズカップのスタッド・ド・ランス、この時は決勝に進出し、レアル・マドリッド(スペイン)に敗れている。スタッド・ド・ランスは1959年にもチャンピオンズカップの決勝でレアル・マドリッドに敗れている。
■アウエーゴール2倍ルールがなく、プレーオフで敗れたリヨン
スタッド・ド・ランスの次に準決勝に進出したのは1964年のカップウィナーズカップのリヨンである。準決勝でリヨンはスポルティング(ポルトガル)に敗れたが、リヨンでの第1戦は0-0、リスボンでの第2戦は1-1の引き分けとなった。当時は第2戦の延長戦も、アウエーゴール2倍ルールも、PK戦もなく、中立地のマドリッドでプレーオフが行われ、スポルティングが1-0で勝利している。もしも、この時代にアウエーゴール2倍ルールが存在していれば、リヨンは決勝に進出していたのである。なお、スポルティングとMTKブダペスト(ハンガリー)の間でブリュッセル(ベルギー)争われた決勝は延長戦に入っても決着がつかず、翌々日にアントワープ(ベルギー)に舞台を移して再試合が行われ、スポルティングが優勝している。準決勝、決勝とプレーオフを戦って優勝したスポルティングには驚くばかりである。
■バイエルン・ミュンヘンにタイトルを阻まれた全盛期のサンテチエンヌ
1970年代に欧州三大カップが整備されたが、代表チームが1960年代から1970年代に低迷期を迎えたのと同様にクラブチームも欧州三大カップでの準決勝から遠ざかり、1975年のサンテチエンヌまで待たなくてはならなかった。サンテチエンヌの黄金期、1975年はチャンピオンズカップの準決勝でバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)に敗れ、その翌年はグラスゴー(スコットランド)で行われた決勝でバイエルン・ミュンヘンに敗れている。
■準決勝に進出したことがあるバスティアとソショー
1978年はUEFAカップでバスティアが準決勝に進出、スイスのグラスホッパー・チューリヒを下して、決勝はオランダのPSVアイントホーフェン、第1戦は0-0でしのいだが、アイントホーフェンでの第2戦は0-3で敗れて準優勝となる。1981年にはソショーがUEFAカップの準決勝でオランダのAZに敗れている。
1980年代の初めまでに欧州三大カップの準決勝に進出したのはスタッド・ド・ランス、リヨン、サンテチエンヌ、バスティア、ソショーと、リヨンを除くと現在のフランスサッカーのトップレベルにはない。
現在のフランスサッカーの主役が欧州で活躍するのは1980年代後半以降となる。ボルドーは1985年のチャンピオンズカップの準決勝に進出した。このシーズン中にボルドーは訪日している。チャンピオンズカップで上位進出するチームがシーズン中に日本を訪問する時代であった。ボルドーは準決勝でユベントス(イタリア)と対戦し、双方がホームゲームは勝利するが、2試合通算スコアで及ばず、敗退する。なお、この大会の決勝戦でヘイゼルの悲劇が起こったのである。ボルドーは1987年にはカップウィナーズカップでも準決勝に進出しているのである。(続く)
