第759回 スコットランドにホームで敗れる(1) 10年ぶりのパルク・デ・プランス

■スタッド・ド・フランス以外でのホームゲーム

 イタリアとのミラノでの戦いで貴重な勝ち点1を上げ、フランスのイレブンは試合が終了して4時間半後の9日の3時半には合宿所のクレールフォンテーヌに戻ってきた。試合の翌日の日曜日の9日の昼には軽く練習を行い、レイモン・ドメネク監督の記者会見が行われた。最大のライバルとのアウエーでの戦いで勝ち点1を上げた安堵感、そして3日後に迫ったスコットランド戦に対する緊張感の交錯する会見であった。
 そのスコットランド戦であるが、ホームゲームでありながら、スタッド・ド・フランス以外での開催となった。これは、9月7日に開幕したラグビーのワールドカップの影響を受けたのである。第607回の本連載でワールドカップの本大会と欧州選手権予選の時期が重なることから、フランスの主要な競技場が欧州選手権予選に使用できなくなることを紹介したが、それが現実のものとなったのである。

■9年前のサッカーと同じ競技場を使用するラグビーのワールドカップ

 今回のラグビーのワールドカップでフランス国内で使用する競技場は、サンドニのスタッド・ド・フランス、マルセイユのベロドローム競技場、リヨンのジェルラン競技場、ボルドーのシャバン・デルマス・競技場、ランスのフェリックス・ボラール競技場、モンペリエのラモッソン競技場、ナントのボージョワール競技場、トゥールーズの市営競技場、サンテエチエンヌのジョフロワ・ギシャール競技場、パリのパルク・デ・プランスである。9年前のサッカーのワールドカップと同じ競技場を使うことになったのである。

■ラグビー優先の日程により、パルク・デ・プランスを使用

 フランスでは日本と異なり、主要な競技場でサッカー専用のスタジアムはなく、サッカーとラグビーを兼用しているのが実際である。このようなこともあり、フランスサッカー協会は厳しい判断を迫られた。結局、スコットランド戦にはある程度のキャパシティのある競技場を選ぶことになり、パルク・デ・プランスにスコットランドを迎えることに決定した。パルク・デ・プランスではスコットランド戦の3日前の9月9日に南アフリカ-サモア戦を行ったばかりであり、スタッド・ド・フランスは開幕戦である9月7日以降は試合がないことから、スタッド・ド・フランスを使用しないことを疑問に思われる読者の方も少なくはないであろう。実はこの2つの競技場のラグビーワールドカップの次の試合日程に注目してみると、スタッド・ド・フランスはスコットランド戦の翌々日にあたる14日にイングランド-南アフリカ戦が予定され、パルク・デ・プランスでは19日のイタリア-ポルトガル戦まで試合が予定されていない。主催者が一番気にするのはグラウンドのコンディションである。2日前にサッカーの試合を行ったグラウンドでラグビーの試合を行うか、3日前にラグビーの試合を行ったグラウンドでサッカーの試合を行うか、という選択になったが、ラグビーとサッカーの力関係、そしてワールドカップ本大会と欧州選手権予選という大会の格の違いからも、ラグビーの試合をよりよいコンディションで行うことを選択したのであろう。

■長らく本拠地としたサッカーのフランス代表

 このパルク・デ・プランスはスタッド・ド・フランスが完成するまで長らくフランス代表が本拠地としてきた。パルク・デ・プランスは1897年に自転車のピストとして完成し、サッカーの試合にも使われてきた。フランス代表がここで最初の試合を行ったのは、フランス代表が結成された翌年の1905年のことである。そして1932年に最初の大規模な改装を行い、4万人収容のスタジアムとなった。この時代まではサッカーのフランス代表はパルク・デ・プランスとコロンブ競技場を併用し、ラグビーのフランス代表はコロンブ競技場を使用していた。そして1972年に2度目の大規模な改装を行い、その後はサッカーもラグビーも代表チームはこのパリ市の西端にあるパルク・デ・プランスを本拠地としたのである。
 そしてスタッド・ド・フランスがサッカーのワールドカップを控えた1998年1月に完成したため、フランス代表はパルク・デ・プランスから離れる。サッカーのワールドカップでも使用されたが、フランス代表はパルク・デ・プランスでは試合を行う機会はなかった。フランス代表が最後に試合を行ったのは、1997年6月11日のイタリアと引き分けた親善試合であり、今から10年前にあたり、奇しくもパルク・デ・プランスが誕生して100周年にあたる年だったのである。(続く)

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