第694回 UEFAカップ決勝トーナメント2回戦(3) 4年ぶりにフランス勢が欧州カップの準々決勝に残れず

■リーグ戦で19位まで順位が落ちたパリサンジェルマン

 地元パリでの第1戦で2-1と勝利したパリサンジェルマン、指揮官であるポール・ルグアンの最大の関心事は2部降格の危機に瀕する国内リーグ戦である。そのため、UEFAカップはベストメンバーではなく、控えのメンバーを交えたチーム編成で戦っている。
 ベンフィカにホームで勝利した3日後の3月11日、パリサンジェルマンは引き続きパルク・デ・プランスにオセールを迎えてリーグ戦第28節を戦う。ベンフィカ戦の勝利で復調を期待したファンで埋まったが、GKのミカエル・ランドローの活躍ばかりが目立つ試合となり、前半の終盤に奪われた1点に追いつくことができず、0-1と敗戦、リーグ戦3連敗となり、19位に順位を落としてしまう。実に地元パルク・デ・プランスで今季7回目の負け試合となり、あと4試合ホームゲームを残している段階でクラブ史上最悪の成績を更新してしまった。1部昇格初年度のホームゲームの敗戦数はこれを上回っていたが、当時はパルク・デ・プランスは改装中でサントゥーアンを使用していたのである。

■フランス勢最後の砦、パリサンジェルマン

 そのパリサンジェルマンのベスト8入りをかけた第2戦は3月15日に行われた。すでにフランス勢はチャンピオンズリーグでリヨンが3月日、リールが3月日に敗退し、同じUEFAカップに出場していたランスも前日にレバークーゼンに敗れており、パリサンジェルマンが最後に残ったチームとなった。パリサンジェルマンがフランス勢の中で欧州の舞台で最後まで残っていたのは1995-96シーズン以来のことであり、この時はカップウィナーズカップで優勝している。
 パリサンジェルマンは第2戦もベストメンバーではなかった。その理由はリーグ戦を優先するチームの方針だけではなく、負傷者が相次ぐことによる。特に守備陣は大幅にメンバーが入れ替わっている。ベンフィカは今季のリーグ戦ではホームゲームでは強さを誇る一方、パリサンジェルマンは国内のリーグ戦では不振であるが、今季のUEFAカップのアウエーゲームでは負け知らずである。
 引き分け以上でベスト8に進むパリサンジェルマンは6万5000人の観衆で埋まったリスボンのルス競技場に乗り込んだ。ルス競技場は2004年の欧州選手権のために改装されたが、改装前は12万人収容の北半球有数の大競技場であった。フランス人にとって忘れられないのは1990年4月のチャンピオンズカップ準決勝のベンフィカ-マルセイユ戦である。この試合、ベンフィカの選手のハンドによるゴールでマルセイユは敗れ、宿敵ACミランとの決勝対決を阻止されてしまう。マルセイユが乗り越えられなかったベンフィカの壁を乗り越えるためにも勝ち抜きたい。

■2点先行されるが、パウレタのゴールでイーブンに

 ベンフィカのチームカラーは赤であるが、サラザール軍事政権時代、共産主義の象徴である「赤」はご法度であったため、「血の色」とチームカラーを表現してきた。いまだにベンフィカのチームカラーは「赤」ではなく「血の色」であり、真っ赤に染まった大競技場でベンフィカは12分に先制点を上げる。この段階でアウエーゴール2倍ルールにより、ベンフィカが優位に立つ。そして27分の追加点により、パリサンジェルマンは窮地に追い込まれる。しかし、起死回生の一撃とはこの夜のパウレタのためにあるのであろう。ポルトガルでは3部や2部のチームにしか所属していなかったパウレタにとってベンフィカは雲の上のチーム、ルス競技場は夢の舞台であろう。この試合でパウレタが張り切らないわけがない。32分にパリサンジェルマンのポルトガル人主将がヘッドで同点ゴール、これで全くイーブンになる。

■終了間際に痛恨のPK、フランス勢全て消える

 その後も試合は一進一退が続き、このまま延長戦かと思われた87分、今季まだリーグ戦では6試合しか出場しておらず、20歳になったばかりのユセフ・ムランブがペナルティエリアの中でベンフィカのシマンを倒してしまう。微妙な判定であり、若いムランブにとっては厳しい結果となった。シマン自らがPKを成功させ、ベンフィカがリードを広げるとともに、2試合合計で3-2と勝ち越し、準々決勝進出を決めたのである。17年前宿敵マルセイユがこのルス競技場で敗れた際もホームの第1戦で勝利し、リスボンでの第2戦で敗れて逆転負けを喫している。
 これでフランス勢は全滅し、ベスト8に進出することができなかった。欧州カップでフランス勢が準々決勝に進出できなかったのは4年ぶりのことである。(この項、終わり)

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