第3089回 グループリーグ終盤戦の欧州カップ(2) アウエーでの得点数でベンフィカに首位を譲ったパリサンジェルマン

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■最初から最後まで首位を争ったパリサンジェルマンとベンフィカ

 パリサンジェルマンとベンフィカの首位争いが続くグループH、両チームは第1節から第5節まで勝ち点で並び、首位をキープしてきた。両チームはすでに決勝トーナメント進出を決めているが、決勝トーナメントを有利に戦うためにグループリーグで首位を獲得することには大きな意味がある。両チームが勝ち点で両チームが並んだ場合は、直接対決の結果が最優先されるが、2試合とも1-1のドローであったために、総得失点差などで順位が決定する。すなわち、下位2チームとの対戦でいかに得点差をつけて勝利するかが、重要である。

■得失点差で優位に立つパリサンジェルマン

 第5節では両チームともグループリーグで最後のホームゲームを戦った。勝ち点3を積み上げたが、得失点差という点では明暗が分かれた。パリサンジェルマンがマッカビ・ハイファ(イスラエル)に7-2と点差をつけて勝利したのに対し、ベンフィカはユベントス相手にいったんは3点差をつけたものの、終盤に2点を失い、4-3と辛勝に終わった。この結果、最終節を迎える段階での両チームの得点と失点はパリサンジェルマンが14得点、6失点で得失点差は+8、対するベンフィカは得点10、失点6で得失点差は+4となっておりパリサンジェルマンが優位に立って最終節を迎える。
 二強二弱となったグループHであるが、下位2チームも勝ち点3で最終節を迎え、ヨーロッパリーグの出場権のある3位を目指しており、ホームで迎える試合に欧州の夢がつながっており、消化試合にはならない。
 パリサンジェルマンの最終戦はトリノでのユベントス戦であったが、勝利さえすれば、首位通過は確実であると確信していた。一方のベンフィカはマッカビ・ハイファとハイファで対戦、マッカビ・ハイファの得失点差はこの時点で-9、ユベントスの-3とは大きく差があるが、決勝トーナメントへの道は続いている。

■23歳にしてチャンピオンズリーグで40点を記録したキリアン・ムバッペ

 リスボンとハイファで11月2日21時に2つの試合は同時にキックオフされたが、2時間後には信じられない結果が待っていたのである。
 これまでなかなかユベントスに勝てなかったパリサンジェルマンであるが、9月6日の第1節は2-1、9回目の対戦で初勝利をあげた。パリサンジェルマンの選手はユベントスにコンプレックスを感じることなく戦う。パリサンジェルマンはこの時点で国内リーグとチャンピオンズリーグでは無敗、15勝4分という成績で最終節を迎えた。相手のユベントスはチャンピオンズリーグだけではなく、国内リーグでも不振が続き、直前のリーグ戦でもレッチェに敗れている。
 パリサンジェルマンは前半から積極的に試合を展開、13分にはキリアン・ムバッペがユベントスの守備陣を交わし、先制点を決める。弱冠23歳にしてチャンピオンズリーグ通算40ゴールとなった。ベンフィカも20分にようやく先制点を決めるが、26分に追いつかれてしまう。ユベントスもパリサンジェルマンに試合を支配されながらもカウンターアタックで数少ないチャンスを活かし、シュートを試み、39分にレオナルド・ボヌッチの得点で追いつく。これで首位争いは試合開始時点に戻り、ハーフタイムを迎える。
 後半にもベンフィカが59分に勝ち越し点、これで暫定1位となる。首位通過をしたいパリサンジェルマンは68分にヌーノ・メンデスのシュートがゴールイン、VARにはなったがゴールが認定、パリサンジェルマンは首位を奪還する。

■ラスト20分のゴールラッシュでベンフィカが首位通過

 ところが、残り試合20分でベンフィカの猛攻がパリサンジェルマンを首位の座から引きずり落した。ベンフィカは69分のアレハンドル・グリマルドのゴールに続いて73分にはラファ・シウバがゴールを決めて4-1とする。これでパリサンジェルマンとの得失点差を2とする。そして88分にはヘンリク・アラウジオのゴールが決まり、パリサンジェルマンに肉薄する。一方、トリノの試合ではパリサンジェルマンが2-1で勝利し、得失点差+9で日程を終了、ベンフィカの試合の結果待ちとなる。
 しかしベンフィカは93分にジョアン・マリオのゴールで6-1で勝利する。パリサンジェルマンもベンフィカも総得点16、総失点7となりアウエーでの得点で優劣が決まり、この日アウエーで6点を奪ったベンフィカが9点で、6点のパリサンジェルマンを上回って首位通過となったのである。(続く)

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