第3756回 パリサンジェルマン、チャンピオンズリーグ連覇(2) フェレンツ・プスカシュとニコラ・アネルカ

 平成23年東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号、19号、令和2年7月豪雨、令和6年能登半島地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■決勝の舞台となるブダペストのプスカシュ・アレーナ

 5月30日の決勝の舞台はハンガリーのブダペスト、プスカシュ・アレーナで行われた。このスタジアムは新型コロナウイルスの感染拡大によって実際は2021年に開催された2020年の欧州選手権のために建設された。2020年の欧州選手権は欧州選手権の60周年を記念して広域開催され、フランスもこのスタジアムでグループリーグのハンガリー戦とポルトガル戦、決勝トーナメント1回戦のスイス戦を戦った。結果はいずれも引き分け(ノックアウト方式のスイス戦はPK戦で敗れている)である。パリサンジェルマンのウスマン・デンベレはハンガリー戦に30分間だけ出場している。チャンピオンズリーグ、チャンピオンズカップの決勝をハンガリーで行うのはこれが最初であるが、3年前の2023年にはこのプスカシュ・アレーナでヨーロッパリーグの決勝が行われ、スペインのセビリアがイタリアのローマをPK戦で下している。

■ハンガリー最高の選手、フェレンツ・プスカシュ

 そしてこのスタジアムに名づけられているプスカシュとは1950年代から1960年代にかけて活躍したフェレンツ・プスカシュのことである。ハンガリーの生んだ最高のサッカー選手は1953年にウェンブリーでイングランドを破る立役者となり、所属クラブと代表チームで活躍したが、ハンガリー動乱を機に、スペインに亡命、レアル・マドリッドに移籍し、黎明期のチャンピオンズカップで活躍した。1958-59シーズンの決勝のスタッド・ド・ランス戦には出場しなかったが、その翌季の1959-60シーズンの準々決勝のニース戦では第2戦で得点をあげている。

■パリサンジェルマンとアーセナルに所属したニコラ・アネルカ

 本連載で紹介しているように両チームの最初の対戦は1993-94シーズンのカップウィナーズカップの準決勝であり、パリで引き分け、ロンドンで敗れている。この時、パリサンジェルマンの下部組織に在籍していた少年がニコラ・アネルカである。アネルカはその3シーズン後の1996-97シーズンに17歳でパリサンジェルマンとプロ契約したが、当時のパリサンジェルマンはシーズン途中の1997年2月にアネルカをアーセナルに放出、パリサンジェルマンは当時としては破格の500万フランを得た。アネルカの月給は3800フランから50万フランに跳ね上がった。アーセナルではアルセーヌ・ベンゲルの下でいきなりレギュラーとなり、エマニュエル・プチとのフランス人コンビで活躍した。クラブ移籍を繰り返し、パリサンジェルマンにも戻り、現在のアーセナルの監督のミケル・アルテタと共にプレーしたが、2年でまた他のクラブに移る。アネルカは二都を代表するパリサンジェルマンとアーセナルに所属した。クラブ移籍を繰り返したアネルカであるが、各チームの指導者が口をそろえて指摘するのが育成段階におけるパリサンジェルマンの優秀さ、そしてその能力を発揮させたアーセナルの存在である。
 フランス代表が初めてウェンブリーでイングランド代表を破ったのはプスカシュのハンガリーに遅れること46年、1999年2月のことである。この試合で2ゴールをあげたのが当時アーセナルに所属していたアネルカである。フランス代表でも活躍したアネルカであるが、不思議なことにワールドカップには一度も選ばれていないのである。

■多くのフランス人選手が活躍したアーセナル

 これまでの本連載で紹介した通り、アーセナルには1990年代にはアネルカ、プチ、パトリック・ビエイラ、レミ・ガルデ、ティエリー・アンリ、2000年代に入るとシルバン・ビルトール、ロベール・ピレス、ガエル・クリシー、ウィリアム・ギャラス、マチュー・フラミニ、フランシス・コクラン、バカリ・サーニャ、2010年代になるとオリビエ・ジルー、マチュー・ドビュッシーと枚挙にいとまがない。
 逆にパリサンジェルマンに所属したイングランド人選手は記録のあるだけでわずかに2人。1987-88シーズンのレイ・ウィルキンソン、そして2012-13シーズンのデビッド・ベッカム、いずれもイングランドのスター選手であったが、代表引退後、選手生活の終盤にパリサンジェルマンのユニフォームを1年だけ着た。ウィルキンソンは若くして亡くなったが、ベッカムはブダペストに駆け付けたのである。(続く)

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