第202回 2002-03フランスカップ・ファイナル オセールがパリサンジェルマンを下す

■シーズン最後の90分間

 ワールドカップでの惨敗直後に始まった2002-03シーズン。そのシーズン最後の90分間は伝統のフランスカップ決勝である。栄光のファイナリストはオセールとパリサンジェルマン。前回の本連載でご紹介したとおり、欧州カップの常連の両チームはリーグ戦の成績が振るわず、是非ともフランスカップを獲得してUEFAカップに出場したいところである。しかし、もちろん重要なのはUEFAカップ出場ではなく、今年85回目を迎える伝統のカップである。両チームの選手はスーツを着てスタッド・ド・フランスに到着、キックオフを迎える。

■近年、好成績を残すオセールとパリサンジェルマン

 このところジャイアントキリングが多発したフランスカップであるが、1990年代にはパリサンジェルマンが3回優勝、オセールが2回優勝しており、近年のフランスカップでの成績を考慮すると、ファイナリストとしてこれほどふさわしい2チームはない。パリサンジェルマンがフランスカップの決勝に初めて進出したのは1982年のことであり、延長、PK戦の末サンテエチエンヌを下して初優勝し、以来1983年、1993年、1995年、1998年と優勝を遂げ、決勝で敗れたのは1985年にモナコに屈したことがあるだけである。特に1998年は決勝の舞台がそれまでのパルク・デ・プランスからスタッド・ド・フランスに移った年であり、記念すべき初めての栄冠を獲得している。一方、オセールは1979年に初めて決勝に進出した。このときオセールは3部に当たるナショナルリーグの所属であり、ナントの前に1-4と大敗したが、大きな話題となった。オセールがフランスカップ決勝に戻ってきたのは1994年のことであり、モンペリエを倒して初優勝、1996年にはニームを下して2回目の優勝を飾っている。
 このように近年のフランスカップでは目覚しい成績を残している両チームであるが、不思議なことにフランスカップでは2回しか対戦したことがない。初顔合わせは1996年2月24日のベスト8決定戦。オセールで行われた試合で地元のオセールが3-1と完勝し、この勢いに乗って初優勝を果たしている。一方、前年の覇者で不覚を取ったパリサンジェルマンであるが、カップウィナーズカップでは見事に優勝を果たしている。2度目の対戦は2001年2月10日のパルク・デ・プランス。ベスト16決定戦にはもったいない好取組となり、今度はホームゲームで一気に借りを返したいパリサンジェルマンであったが、0-4と返り討ち。2度の対戦はいずれも軍配がオセールに上がっている。

■パリサンジェルマンが先制

 そして3回目の対戦は、ソウルでまさかのセネガル戦敗戦からちょうど1年となる5月31日、満員のスタッド・ド・フランスで行われた。実は1部リーグ所属チームでこの新たな聖地に最も近くに本拠地を構えるチームがパリサンジェルマンであり、その次がオセールである。スタンドは超満員に膨れ上がる。小雨の中、キックオフ、そしてこの超満員の観衆をまず沸かせたのがパリサンジェルマンである。20分にウーゴ・レアルがロナウジーニョからのパスをゴールに叩き込んで先制点、そのままハーフタイムを迎える。

■オセール、終了間際に決勝点、3度目の栄冠

 後半に入ってもなかなか得点シーンが生まれなかったが、65分、それまで唯一の得点者であるウーゴ・レアルがフィリップ・メクセスに対する危険なプレー。主審のベルトラン・ライエック氏はレッドカードを提示する。パリサンジェルマンは、5年ぶり6回目の優勝のために、1人少ない人数で25分以上守らなくてはならなくなったのである。3度目の優勝を狙うオセールが同点に追いつくのは時間の問題であった。77分には昨シーズンのリーグ得点王のジブリル・シセが同点ゴール。パリサンジェルマンは選手交代で守りを固めたが、90分間が終わろうとする89分、オセールはゴール前でFKのチャンスをつかむ。長身DF陣も前線にあがり、決勝点を狙う。キッカーは主将のラシュール。ラシュールは最終ラインからあがってきたジャン・アラン・ブームソンの頭に合わせる。ブームソンのヘッドは一旦地上に落ちたが、ブームソン自身が押し込んで決勝点。このとき、青と赤のユニフォームは地面に倒れこんだのである。得点後間もなくタイムアップ。名将ギ・ルーは見事に3回目のフランスカップ優勝監督となったのである。
 この結果、リーグ6位のオセールがカップウィナーとしてUEFAカップ出場、リーグ9位のナントがインタートトカップに出場。宿敵マルセイユに連勝するなどパリジャンを熱狂させながらリーグで沈んだパリサンジェルマンは、欧州への道が閉ざされたのである。(この項、終わり)

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