第970回 国内カップ、フィナーレ(6) ギャンガン逆転勝利、50年ぶり2部勢の優勝

■ブルターニュ決戦、最多入場者数記録を更新

 今年のフランスカップ決勝戦は史上初めてのブルターニュ勢同士の戦いとなった。ブルターニュのチームがこれまでにフランスカップを獲得したのは、前回の本連載で紹介した1965年と1971年のレンヌに加えて、2002年のロリアンであり、今回はいずれが勝利してもブルターニュ4回目の戴冠となる。
 レンヌ、ギャンガンとも地元ファンが盛り上がり、TGVアトランティックに乗って多くのファンがスタッド・ド・フランスに詰め掛けた。この決勝の入場者数は80,056人、これはフランスカップ史上最多の観客である。従来の最多入場者記録である2年前の決勝のマルセイユ-ソショー戦の79,797人を上回り、前人未到の8万人越えを達成したのである。

■堅守を誇る両チーム

 両チームに共通するのはいずれもブルターニュのチームであると言うことに加え、守備の堅さであろう。レンヌはフランスカップに参戦してから5試合で無失点を誇り、一方のギャンガンは7試合で4失点である。守備のチーム同士の戦いになるであろうと想定された。また、ギャンガンは2部中位のチームであり、メンバーの過半数は1部での経験がない選手である。スタッド・ド・フランスがあるパリの住民は、当初このブルターニュ勢の決勝戦に冷ややかであった。さらにパリジャンであるニコラ・サルコジ大統領も4月25日のリーグカップ決勝を観戦しており、当初はこの試合を観戦しない予定であった。しかし、続々と集まる大観衆、そしてキックオフしてからの試合の展開、これらを目の当たりにして、この考えは間違いであったことに気づいた。

■同点ゴールと逆転ゴールを決めた殊勲のエデュアルド

 試合開始の3時間前にサルコジ大統領は観戦を決定し、関係者は大慌てで大統領対応を進めた。また、キックオフは当初より5分遅い20時50分となった。この試合を裁くティエリー・オーリアック主審は初めての決勝の主審であるが、45歳であるため、これが最初で最後の栄誉あるフランスカップ決勝の主審である。
 試合は超満員の観衆の下で両チームが積極的に攻撃を仕掛ける好ゲームとなった。ギャンガンのメンバーは準決勝のトゥールーズ戦とまったく変わらない。
 ギャンガンのイレブンは試合前にはトゥールーズ戦のビデオを見て戦意を高める。前半は両チームとも得点はなく、後半に突入する。
 先制点をあげたのは赤と黒の本来のファーストユニフォームを着たレンヌであった。69分にカルロス・ボカングラがブルーノ・シェイルーのFKにヘッドで合わせてゴールネットを揺らす。赤と黒に染まったスタッド・ド・フランスの半分が歓喜する。
 ところがその3分後、沈黙していたスタッド・ド・フランスの残り半分の赤と黒の塊が雄たけびを上げる。72分位ギャンガンのブラジル人選手のエデュアルドが同点ゴールを決めて、天に向けて人差し指を突き出す。人口7800人のギャンガンであるが、この日スタッド・ド・フランスに集まったファンの数はそれよりはるかに多い2万1000人である。ブルターニュの首都のチームに対して小都市のチームが挑戦するからこそ、ギャンガンの市民だけではなく関係者も集結したのであろう。そしてこの大応援団の期待に応えたのはエデュアルドであった。エデュアルドは83分に決勝点をあげ、ギャンガンが2-1と勝利したのである。

■50年ぶりの2部チームのフランスカップ制覇、5年ぶりの2部チームの欧州カップ出場

 ギャンガンは7年ぶりにブルターニュにフランスカップを持ち帰るとともに、2部のチームとしてフランスカップを獲得した。このフランスサッカーの歴史において、2部のチームがフランスカップで優勝したのは1959年のルアーブル以来なんと50年ぶりのことである。
 また、フランスカップの優勝によってギャンガンは来季からスタートするヨーロッパリーグへの出場権を獲得したが、ギャンガンにとってはインタートトカップを勝ち抜いて出場した1996年のUEFAカップ以来2回目の欧州カップへの出場である。また、2部チームの欧州カップの出場は2004年のシャトールー(フランスカップの決勝でチャンピオンズリーグに出場するパリサンジェルマンに敗退)以来のことであり、ギャンガンはさまざまな歴史をつくったのである。(この項、終わり)

このページのTOPへ