第239回 2003年女子ワールドカップ(1) 本大会に向けた精力的な強化

■本大会決定後最初の相手は強豪・中国

 本連載の第126回から第131回にかけて「絹の道、女子ワールドカップへの道」というタイトルで、ワールドカップ出場を決めた女子イレブンについて紹介したが、ようやく彼女たちが世界の桧舞台に立つ日がやってきた。
 昨年11月16日にサンテエチエンヌでイングランドに勝利して初の本大会出場のチケットを獲得したフランス女子代表は、年が明けると、韓国での男子の悪夢を忘れ去るかのように精力的に強化に取り組んだ。2月22日には本大会の開催の準備をすすめ、優勝候補の1つである中国を迎え、マルマンドで親善試合を行った。

■5度目の対戦も初勝利ならず

 鄧小平や周恩来といった中国の指導者はフランスと非常に密接な関連をもつが男子も中国とは対戦したことがないが、女子はそれまでに4回対戦している。最初の対戦は1990年4月18日。ブルガリアで開催されたトーナメントでフランスは中国と初めて対戦し1-1のドローという成績を残している。中国が男女合わせて初めてのフランスと中国の対戦が、天安門事件から1年経たない時期に、東欧の自由化の最中にあるブルガリアで実現したというのは運命的なものを感じる。このトーナメントでは両国が決勝に残り、フランスは再び中国と対戦するが今度は0-4と大敗してしまう。天安門事件で信用が失墜した中国にとっては国際舞台復帰をかけた戦いであり、中国の大勝はそのような国際政治の賜物であったといえよう。
 そして新千年紀を迎えフランス国内で2回の親善試合を行っている。2000年3月8日に初めて中国がフランスの地を踏む。試合が行われたオルレアンは宇都宮と姉妹都市であり、中国で発祥した餃子の町・宇都宮の姉妹都市こそ中国戦にふさわしい町であるが、フランスは0-1と惜敗する。欧州選手権を控えた翌年にもパリ近郊のマント・ラ・ビルに中国を迎え、試合終了直前までフランスはリードを奪うが、最後に同点ゴールを決められ、1-1のドローとなり、初勝利はお預けとなる。
 5回目の対戦で初勝利を狙ったフランスであったが、前半早々に中国に連続ゴールを許してしまう。フランスの反撃は終了間際のサンドリーヌ・スーベイランの1点だけで、強豪相手に初勝利を上げることができなかった。

■オランダに競り勝つ

 しかし、強豪相手に1-2と追い上げたフランスイレブンは下を向くことはなかった。ワールドカップイヤーで強化に励むフランスはその3日後、アルビに移動してオランダと戦う。アルビといえばトゥールーズ・ロートレックの故郷であり、ロートレックはオランダ人画家のビンセント・ファン・ゴッホと親しかったこともまた有名である。そのようなゆかりの土地で本大会出場を逃したオランダと対戦する。強行日程の中で、フランスはコリンヌ・プチが先制点、一旦は追いつかれるが、終盤にサブリナ・ビグイエがヘッドで勝ち越し点、連戦は1勝1敗となる。

■アルガーブ・カップで健闘、4位に入る

 3月になるとフランスはアルガーブ・カップに出場する。ポルトガルで行われたこのトーナメントには12か国が参加し、フランスは初参加となる。ワールドカップの前哨戦として注目を集めるトーナメントは4チームずつ3つのグループに分かれてグループリーグを行う。この中で実力が上位の8チームはグループAとグループBに入り、下位の4チームはグループCに入る。グループリーグAとBの1位同士が決勝戦、2位同士が3位決定戦、3位同士が3位決定戦を行うようになっている。また実力で下位の4チームの集まったグループCもトップのチームは7位決定戦を戦うという夢が与えられている。
 フランスはまずデンマークと対戦し、3-0と快勝する幸先の良いスタートを切る。続く第2戦はアジアの壁、中国である。通算して6度目の対戦となったが、今回も力及ばず、0-3と完敗してしまう。グループリーグの最終戦の相手はフィンランドである。エースのマリネット・ピションのゴールで1-0と競り勝ち、フランスはグループBで2位となり、3位決定戦でノルウェーと戦う。強豪ノルウェーに0-1と惜敗し、結局4位に終わったが、中1日のハードスケジュールでの4試合はチームの結束を強め、初のワールドカップに希望の光が見えたが、大きな問題が起こったのである。(続く)

このページのTOPへ