第705回 フランス・サッカーの失われた世代(1) 凡人になった天才少年たち

■1990年代から話題になっている若手選手の国外流出

 前回の本連載では、15歳の日系三世のフランス人であるガエル・カクタをめぐってイングランドのクラブが争奪戦を起こし、チェルシーに移籍することを紹介した。
 プロとして出場経験のない選手に対して大金を積んで獲得することはフランスのクラブにとっては信じがたいことであるが、カクタをはじめとするたくさんの選手の才能を否定するものではない。しかしながら、欧州における若年層選手のリクルートは1996年のボスマン判決以降活性化し、当初は20歳前後の選手が中心であったが、現在はカクタのようにミドルティーンの選手も珍しくなくなった。
 今から8年前、1999年に筆者は「サッカークリック」の「フランス・サッカー実存主義」の第43回連載で「国外流出する若手タレント」と題し、移籍当時18歳のニコラ・アネルカ、ウスマン・ダボ、ミカエル・シルベストルなどハイティーンの選手の移籍を紹介するとともに、低年齢化が進み、まだ16歳のジェレミー・アリアディエールについても紹介した。

■16歳でアーセナルに移籍し、鳴かず飛ばずのアリアディエール

 しかしながら、若くしてフランスを離れていった選手が国外のビッグクラブでどれだけ活躍しているかというと疑問である。
 INFクレールフォンテーヌに所属していたアリアディエールは16歳でイングランドのアーセナルに移籍する。しかしその後は全く鳴かず飛ばず、ようやくデビューしたのが移籍して3シーズン目であるが、出場は1試合、10代最後の翌シーズンも出場はわずか3試合であった。すなわち、大騒ぎされながら、20歳を迎えるまでに4試合しか出場することができなかったのである。そして大器晩成というタイプでもなかった。20歳で迎えた2003-04シーズンはようやく二桁の10試合に出場したが、その次の2004-05シーズンは4試合にとどまり、レンタル移籍となってしまう。スコットランドのセルティック・グラスゴーでは出場機会に恵まれず、すぐにロンドンのウエストハム・ユナイテッドに移るが、結局7試合しか出場機会はなかった。そして今季はアーセナルに戻ってきたが、ここまでのリーグ戦では先発4試合、途中出場7試合の合計11試合出場となっている。24歳になる選手でリーグ戦の通算出場数が36試合というのは並みの選手でしかない。

■17歳でACミランに移籍、出場ゼロのサミール・ベルーファ

 天才少年が凡人になってしまったのはアリアディエールだけではない。アルジェリアとフランスの二重国籍の持ち主であったサミール・ベルーファも17歳の夏の1997年にカンヌからACミランへと移籍した。しかしACミランでは全く出場することなく、今彼がどこで何をしているかを知っている人は数少ないであろう。イタリアではセリエAの試合に出場することなく、ベルギーのクラブを渡り歩き、この1月の移籍市場でKVCウェステルローから契約終了を言い渡され、イングランドのシェフィールドウェンズデーのテストに落ち、北欧のチームのテストを受けているところである。かろうじてフランスのファンは2004年のアフリカ選手権のアルジェリア代表のメンバーにベルーファという選手がいたことを憶えているかもしれないが、まさかカンヌからACミランへの移籍が話題になった同一人物であるとは思わないであろう。

■バレンシアからCFAのクラブに戻ってきたニコラ・カルラモフ

 そして2002年のワールドカップ敗退の後、ファンの期待を背負って2部のアミアンからスペインのバレンシアに19歳のニコラ・カルラモフが移籍した。カルラモフは18歳の時にチームをフランスカップ決勝に導き、今度はフランス代表を復活させて、栄光に導くべく、ビッグクラブで大きく成長することを期待された。しかし、スペイン1部リーグの試合に出場することなく、フランスでは4部リーグに相当するCFAのコンピエーニュに22歳で戻ってきた。カルラモフの活躍でこのチームがフランスカップで活躍したという話を聞いたこともない。フランス代表を復活させたのは天才少年ではなく、ジネディーヌ・ジダンなどのベテランだったのである。(続く)

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