第1283回 モンペリエでチリとドロー(2) モンペリエ時代に西ドイツ戦に出場したローラン・ブラン

 3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、救援活動、復旧活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■東欧遠征とほとんど変わらないメンバー

 自らがかつてのフランス代表の名ストッパーであったローラン・ブラン監督の最大の悩みは、もともとの人材不足に加え、負傷者や出場停止も重なり、誰をストッパーとして起用するかである。チリ戦に向けた23人のリストは8月4日に発表された。
 FWはジェレミー・メネス、ケビン・ガメイロ、ギヨーム・オラオ、カリム・ベンゼマ、ロイック・レミー、ディミトリ・ペイエという6人、東欧遠征メンバーと比較すると、マチュー・バルブエナ、シャルル・エンゾグビア、そして負傷したフランク・リベリーが外れ、ペイエが復帰した。
 MFはアルー・ディアラ、ヤン・エムビラ、サミール・ナスリ、フローラン・マルーダ、ヨアン・カバイエ、ブレーズ・マツイディ、マルバン・マルタンの7人で、東欧遠征メンバーからはアブー・ディアビが負傷のため外れ、ヨアン・グルクフはまだ負傷から復帰できない。
 注目のDF陣であるが、バカリ・サーニャ、ママドゥ・サコ、パトリス・エブラ、エリック・アビダル、ユネス・カブール、アントニー・レベイエール、アディル・ラミという東欧遠征と同じ7人のメンバーとなった。アルバニア戦には出場できないラミを登録しており、アルバニア戦のストッパー陣はカブール、サコという若い2人と本来はサイドDFのアビダルを中央に回して起用するのであろう。
 GKはウーゴ・ロリス、スティーブ・マンダンダ、セドリック・カラッソの3人で3月の連戦時から変わらないメンバーで固定している。

■モンペリエで5回目のフランス代表の試合

 チリとの一戦の舞台はモンペリエのラモッソン競技場、1998年のワールドカップにも使用され、日本のファンの皆様にはなじみ深い競技場である。フランス代表がこのラモッソン競技場で試合を行うのはこれが5回目であり、今回も含めてすべての試合が親善試合である。親善試合と言うとワールドカップや欧州選手権の予選に比べて見劣りする印象を持たれる読者の皆様もいらっしゃるかと思うが決してそうではない。親善試合であるがゆえに、フランスと実力の伯仲した、あるいはフランスよりも実力の上のチームと対戦することができる。
 モンペリエでフランスが対戦したチームは西ドイツ、イングランド、アンドラ、コートジボワールの4チームである。アンドラ戦は2004年欧州選手権本大会直前の試合であり、格下のチームであるが、残り3チームは強豪国である。

■地元所属のエリック・カントナが逆転ゴール

 1990年2月の西ドイツ戦がモンペリエでの最初の試合である。予選でワールドカップイタリア大会の道を閉ざされてしまったフランスはその5か月後に世界の頂点に立つことになる西ドイツを迎え、ジャン・ピエール・パパンとエリック・カントナの活躍でフランスは2-1と西ドイツを下す。この試合で地元のモンペリエに所属していた選手が2人いる。まず、先発メンバーの中には、82分に逆転ゴールをヘディングで決めたカントナがいる。そしてもう1人が後半開始早々にバジル・ボリの負傷により出場した現在の代表監督のローラン・ブランである。試合開始時はボリとベルナール・カゾニの2人がストッパーであったが、ブランが交代出場してからはストッパー的な役割はカゾニが務め、ブランはリベロのように攻撃の起点となり、チームメイトのカントナのゴールを呼んだのである。

■ワールドカップのプレ大会でイングランドに惜敗

 そして2度目のモンペリエでのフランスの試合は1997年のフランストーナメント、ワールドカップのプレ大会である。2002年大会以降はコンフェデレーションズカップがワールドカップのプレ大会として定着しているが、この時はまだそうではなく、ブラジル、イタリア、イングランドを呼んでトーナメントを行った。フランスはモンペリエでイングランドと戦う。この試合、イングランドのアラン・シアラーが終盤に決勝点をあげて、フランスは0-1とイングランドに敗れてしまったが、この試合のフランスのストッパーはブランとブルーノ・エンゴッティであった。
 このモンペリエでの競合との2試合に出場したのはブランとディディエ・デシャンの2人だけであり、ブラン監督にとっては思い出のある競技場でチリを迎えることになったのである。(続く)

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