第1767回 ポルトガル、アルメニアと連戦 (6) アンドレ・ピエール・ジニャックの活躍、ラファエル・バランの初主将

 3年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■ポルトガル戦と大幅に入れ替わった先発メンバー

 進境著しいアルメニアと15年ぶりの対戦となるフランス、アルメニアの首都エレバンの共和国競技場での試合である。共和国競技場の収容人員は1万4000人、エレバンには5万人以上収容することのできるラズダン競技場もあるが、歴史の古い共和国競技場でフランスを迎えることになった。しかし、観衆はわずか8000人、アルメニアにおける代表チームの人気を象徴している。
 さて、フランスの先発メンバー、3日前のポルトガル戦とは大きくメンバーを変えてきた。
 GKはスティーブ・マンダンダ、DFは4人で右からクリストフ・ジャレ、ラファエル・バラン、ジェレミー・マチュー、ルカ・ディーニュ、MFは守備的な位置の右にモルガン・シュナイデルラン、左にブレーズ・マツイディ、攻撃的な位置は右にムーサ・シッソコ、中央にディミトリ・ペイエ、左にロイック・レミ、FWは1人でアンドレ・ピエール・ジニャックという4-2-3-1システムである。

■連続先発となったスティーブ・マンダンダ、ラファエル・バラン、ブレーズ・マツイディ

 ポルトガル戦に引き続いて先発メンバーとなったのはGKのマンダンダ、ストッパーのバラン、守備的MFのマツイディの3人である。この3人が引き続き出場したのにはそれぞれ理由がある。まずGKは、主将であり正GKであるウーゴ・ロリスは負傷のためベンチ入りはしたが無理はせず、第2GKのマンダンダがポルトガル戦に続いて出場することになった。マンダンダ自身も代表では試合に出場する機会に恵まれず、今回代表に初招集されたブノワ・コスティルを起用するのではなく、マンダンダに試合経験を積ませることをディディエ・デシャン監督は優先したのであろう。ストッパーのバランは前回の本連載で紹介した通り、人材不足のストッパーに出現したタレントであり、これから長くフランス代表の屋台骨を支えるであろうという期待に応えての連戦となる。そして守備的位置のマツイディは主将のロリスの欠場によりポルトガル戦では主将を務めたが、アルメニア戦でも引き続きキャプテンマークをつけて試合前のラ・マルセイエーズを歌うことになる。

■1トップを任されたアンドレ・ピエール・ジニャックのアシストで先制

 また、ポルトガル戦に出場しなかった選手の中で最大の注目選手はジニャックである。ポルトガル戦はカリム・ベンゼマとアントワン・グリエズマンの2トップであり、交代出場のチャンスすらなかったが、第3のFWとして1トップを任されたこの試合で結果を見せたいところである。
 試合はフランスが一方的に支配した。主力選手を負傷で欠くアルメニアは守勢にまわる。40歳の主将のGKロマン・ベレゾフスキーの活躍ばかりが目立つ試合となったが、フランスは7分に早くも先制点を奪う。ジニャックがペナルティエリア内のレミ右足でシュート、ジニャックは早くもアシストという形で結果を残した。前半はフランスは後期をつかみながらこの1点だけでハーフタイムを迎える。

■史上2番目に若い主将となった21歳のバラン、ジニャックは1ゴール2アシスト

 後半開始時点でフランスはメンバー交代、マツイディがベンチに下がり、ポール・ポグバがピッチに入る。そしてマツィディの付けていたキャプテンマークはバランが付けることになった。21歳にして代表チームの主将、デシャン監督自身も出場した半数近くの試合で主将を務めたが、初めて主将を務めたのは27歳の時である。記録の上では100年以上前の1910年のベルギー戦で20歳のエチエンヌ・ジュルドが主将を務めており、それに次ぐ若い主将となった。
 55分にはポグバがファウルを受け、PKが与えられる。ここでPKを蹴るのはジニャック、右足できれいに決めて追加点、ジニャックにとっては2009年10月14日のオーストリア戦以来5年ぶりの代表での得点となった。
 さらにジニャックの勢いは止まらない。84分には最前線にいたグリエズマンにパス、オフサイドぎりぎりのパスであったが、グリエズマンがアルメニアのGKをかわして無人のゴールへシュート、フランスは3-0と勝利する。ポルトガルに比べて力の劣る相手に対し、メンバーを変えて臨んだが、ジニャックの1ゴール2アシストの活躍、バランの初主将と収穫の多い試合となったのである。(この項、終わり)

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