第1815回 2015年アフリカ選手権(9) コートジボワール、23年ぶりの優勝

 このたびパリ並びにパリ近郊で起こった銃撃事件の犠牲者の方々のご冥福を祈るとともに、サッカー界での人種差別についてしばしば取り上げている本連載に対する読者の皆様からのご支援に感謝いたします。

■コンゴ民主共和国を下したコートジボワール

 準決勝の組み合わせはコンゴ民主共和国-コートジボワール、ガーナ-赤道ギニアの2試合である。
 まず2月4日にバタでコンゴ民主共和国とコートジボワールが対戦する。グループリーグから準々決勝まで島部のマラボで試合をしてきたコートジボワールは今大会5試合目で初めてアフリカ本土での試合となる。コートジボワールはこのところアフリカ選手権の上位の常連である。2006年大会以来6大会連続で決勝トーナメントに残り、今大会を含めそのうち3回は準決勝に進出しているが、優勝は1992年を最後に遠ざかっている。一方のコンゴ民主共和国は1998年大会以来の準決勝進出である。
 この試合、コートジボワールが自力の違いを見せつけた。先制点は20分、ヤヤ・トゥーレが豪快なシュートで均衡を破る。コンゴ民主共和国も24分に追いつく。
 しかし、コートジボワールは41分にジェルビーニョが勝ち越し点を奪い、1点リードして後半を迎える。さらに68分にはウィルフリード・カノンが追加点をあげる。コートジボワールで活躍したのは攻撃陣だけではない。ほとんどの選手が欧州のビッグクラブに所属するコートジボワールの中でこの試合唯一の国内組となったGKのシルバン・グボウオが再三の好セーブを見せたことも忘れてはならない。コートジボワールはコンゴ民主共和国を3-1と下し、2012年大会以来2大会ぶりの決勝進出を決めた。

■開催国赤道ギニアを破ったガーナ

 翌日、マラボで行われたガーナ-赤道ギニア戦、開催国の赤道ギニアはメイン会場のバタを初めて離れ、マラボでの試合となる。ガーナもコートジボワール同様、近年のアフリカ選手権では上位の常連チームである。また、ワールドカップにも2010年、2014年と連続出場を果たしている。しかし、アフリカ選手権でも3回優勝しているが最後の優勝は1982年までさかのぼらなくてはならない。アサモア・ギャンを負傷で欠くガーナであったが、実力に勝ったのはガーナであった。41分に赤道ギニアのGKがガーナの選手を倒してしまい、PKを献上。このチャンスをジョルダン・アユーがGKの逆を突くPKを成功させ、先制する。さらに前半ロスタイムにムバラク・ワカソが追加点をあげ、ガーナは2点リードして折り返す。
 後半に入って74分にはアンドレ・アユーが得点を決めて3-0と差を広げる。
 この一方的な展開に不満を爆発させた赤道ギニアのファンがピッチに物を投げ入れ、試合は82分経過したところから35分以上中断してしまう。中断中にはガーナのサポーターが不安からピッチになだれ込み、ヘリコプターが競技場の上を低空飛行するなど騒然とした時間となった。
 後味の悪い試合となったがガーナが3-0で勝利し、決勝戦に進出した。

■ゴールの生まれなかった決勝戦、優勝をかけて11人目までもつれ込んだPK戦

 決勝戦は2月8日に行われた。決勝トーナメントに入ってからスコアの開く試合が多かったが、この決勝戦はグループリーグの試合と同様、なかなかスコアが動かない。ガーナは26分にはクリスチャン・アツのシュートが、36分にはアンドレ・アユーのシュートがポストに当たるがノーゴール、両チーム無得点で後半を迎える。
 後半も無得点が続き、試合は延長戦に入るがなおも無得点。アフリカ王者の座はPK戦で決定されることになった。このPK戦、先蹴のガーナは最初の2人が成功、後蹴のコートジボワールは最初の2人が失敗、コートジボワールは追い込まれたが、ガーナの3人目と4人目が失敗して、サドンデスとなり、その後は両チーム10人目まで成功が続く。11人目でガーナは失敗、コートジボワールの11人目のGKのブバカル・バリー・コパが成功させて、PK戦を9―8で制したコートジボワールが優勝した。

■23年前の決勝も相手はガーナ、2回目の優勝監督となったエルベ・ルナール

 1992年の優勝時も決勝の相手はガーナ、そしてPKで決着がつき、この時のPK戦は11-10という今大会をしのぐ熱線であった。
 そしてコートジボワールを率いるエルベ・ルナールは2012年大会ではザンビアを率いてアフリカ選手権を獲得しており、2回目のアフリカ選手権優勝となったのである。(この項、終わり)

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