第665回 フランス人クリストバル・ユエ、NHLオールスターゲームに初出場

■アイスホッケーの町グルノーブル出身のクリストバル・ユエ

 このところ、日本人選手を受け入れ、日本でも注目を集めているグルノーブル、実はこの町で最も人気のあるスポーツはサッカーではない。「白い恋人たち」で有名になった1968年の冬季オリンピックの開催地であり、アイスホッケーが最も人気のあるスポーツである。この町から新たなヒーローが生まれた。
 そのヒーローの名はクリストバル・ユエ、アイスホッケーのGKであり、NHL(ナショナルアイスホッケーリーグ)のオールスターゲームのメンバーに選出されたのである。
 もともと欧州で生まれたアイスホッケーであるが、現在のその中心はカナダ、米国であり、この両国にある30チームからなるリーグに世界中からの選手が集まっている。

■福藤豊の公式戦デビューの日にフランスに届いた朗報

 日本からも福藤豊が1月13日にNHL公式戦にデビューしたことから注目が集まっているようだが、高校生として初めて日本代表入りを果たした福藤は2004年にロサンゼルス・キングスにドラフト8順目(通算では238番目)に指名され、その後の紆余曲折を経ながらの公式戦デビューとなった。
 日本ではアイスホッケーと言うと長野オリンピックの日本-フランス戦を皇太子ご夫妻がご観戦になったこともあり、皇太子ご夫妻が観戦した団体球技は数少ないことから、サッカーに匹敵する人気スポーツであると想像できる。
 福藤がNHL公式戦にデビューしたのと同じ日、フランスのファンを喜ばせる朗報が大西洋を越えて届いた。それがユエのオールスターゲームのメンバーの選出である。

■フランス人で2番目のNHL選手、最高セーブ率を記録

 ユエは1975年9月3日にグルノーブルのあるイゼール県で生まれている。グルノーブルでプロにデビューし、スイスのルガーノへ移籍し、スイスリーグの最優秀GKに2年連続して選出されている。ルガーノは2002年2月に訪日し、福藤がゴールを守った日本代表とも対戦していることから日本の皆様ならよくご存知であろうが、ユエはこの日本遠征のメンバーには入っていない。なぜならば2001年のドラフト7順目(通算で214番目)でロサンゼルス・キングスに指名されたからである。
 ユエは2002年に大西洋を渡り、下位リーグのマンチェスター・モナークスを経てロサンゼルス・キングスのメンバーとして公式戦にデビューする。フランス人としては1992年から1995年にかけてセントルイス・ブルースに所属したフィリップ・ボザンに次ぐ2人目のNHLプレーヤーとなったのである。ロサンゼルス・キングスが日本人の福藤を指名したのはすでにユエという伏線があったからであろう。
 しかし、さすがのユエも初年度は控えが多く、フル出場を果たすようになったのは2年目の2003-04シーズンからである。そして迎えた2004-05シーズンはストライキのため試合が行われなかった。ユエはストライキあけの2005-06シーズンからオリジナルシックスのうちの1つの名門モントリオール・カナディアンズに移籍、ここでユエは大ブレイクすることになる。移籍初年度にはセーブ率92.9%という驚異的な数字を残し、最高のセーブ率を残したGKに与えられるロジャー・クロジエ賞を獲得した。そして今シーズンもセーブ率は92.3%と4位の成績である。この好成績により、オールスターゲームの東軍メンバーに選出されたのである。

■6人のGKで最高の成績を残したユエ

 今年でオールスターゲームは55回目を迎え、1月24日にダラスのアメリカン航空センターで行われた。長い歴史の中で初めてフランス人が選出された。東軍のGKにはファン選出のライアン・ミラー、そして監督推薦で9回目出場となるマルタン・ブロデューアーとユエの3人がおり、それぞれが1ピリオドずつゴールを守ることになる。ユエは第3ピリオドに6-9とリードされた展開で出場する。試合は9-12と東軍は西軍に敗れたが、ユエはこの試合に出場した6人のGKの中で最もすばらしい数字を残した東軍は19分25秒に2点差に追い上げたところでユエが退き、6人攻撃を仕掛け、逆に1点を失ったが、ユエがゴールを守っていた19分27秒の間で、ユエは10本のシュートのうち8本を防ぎ、 セーブ率、失点数とも最もよい数字を残した。
 ユエの活躍はフランスのファンだけではなく、ユエのロスアンゼルス・キングスの後輩であり若くして北米の地に渡った福藤にも大きな勇気と希望を与えたのである。(この項、終わり)

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