第2263回 ベルギーに競り勝ち、16年ぶりのデビスカップ優勝 (8) 最終戦で勝利し、優勝に導いたアンリ・コシェ、アルノー・ブッチ

 6年前の東日本大震災、昨年の平成28年熊本地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■黎明期の最終戦で3勝したアンリ・コシェ

 第4ラバー、最終日第1試合のエース対決にジョー・ウィルフリード・ツォンガがダビッド・ゴファンにストレートで敗れ、2勝2敗となり、優勝の行方は最後の第5ラバーのニコラ・プイユとスティーブ・ダルシスの1戦にかかることになった。
 これまでフランスはデビスカップの決勝に進出すること17回、そのうち2勝2敗となって最終の試合に優勝が懸かることになったのは7回ある。この7回の最終試合決戦でフランスが勝利したのは実に5回に上る。初優勝を飾った1927年には米国のフィラデルフィアで行われ、最終戦でアンリ・コシェがウィリアム・ジョンストンに勝利している。フランスはこの優勝を皮切りに6連覇を飾ることになるが、1929年の米国との決勝も最終戦までもつれ、コシェがジョージ・ロットに勝ち、3連覇達成、コシェは英国と対戦した1931年にも最終戦に登場、フレッド・ペリーに勝っている。

■1931年の雪辱を果たしたフレッド・ペリー

 フランスの連覇が途絶えたのは1933年のことであり、この時の決勝の相手は英国であった。1勝2敗で迎えた最終日、シングルス第1試合にコシェが登場し、ヘンリー・オースチンをフルセットの末破り、フランスはタイに追いつく。最終戦に出場したのはフランスはアンドレ・メルラン、英国は2年前の雪辱を期すペリー、この試合でペリーが3-1と逆転勝ちし、フランスの連覇を6で止めたのである。この後、フランスは長い低迷期に入り、決勝進出は1982年、優勝は1991年まで待たなければならなかった。

■マルメの奇跡、3度のマッチポイントをしのいだアルノー・ブッチ

 1980年代以降は上位に定着したフランスは、1996年には決勝をスウェーデンと争う。マルメで行われたこの試合、スウェーデンは引退間近のステファン・エドベリを起用するが、振るわず、最終日を迎えた段階でフランスが2勝1敗とリード、最終日のシングルス第1試合はセドリック・ピオリンがトーマス・エンクビストをセットカウント2-0とリードする。残り1セットでフランスが優勝というところまでこぎつけたが、ここからエンクビストが驚異の粘りを見せて、3セットを連取して逆転勝ち、特にタイブレークのない最終セットは9-7というスコアで競り勝ち、会場のマッサンセンターのボルテージは最高潮に達した。
 ここで最終戦に登場したのがフランスはアルノー・ブッチである。一方のスウェーデンは本来はエドベリが登場する予定であったが、初日の試合で負傷し、変更せざるを得ず、前日のダブルスに出場したニクラス・クルティに変更する。第1セットはブッチがタイブレークを制して取るが、第2セット、第3セットを落としてしまう。第4セットはタイブレークとなるが、タイブレークを7-5としのぎ、最終セットへもつれ込む。このセットは伝説となった。タイブレークのない最終セットでブッチは7-8とリードされて、自分のサービスゲームを迎える。ここであろうことか、0-40という状況に追い込まれてしまう。この絶体絶命のサービスゲームでポイントを連取し、何とかサービスをキープする。そして勢いに乗ったブッチは続くゲームをブレイクし、最後はサービスゲームをキープして10-8というスコアで最終セットを取り、フランスには5年ぶりの優勝がもたらされたのである。
 そしてエドベリはこの決勝がトップレベルでの最後の試合となったのである。

■若きロジャー・フェデラーと対戦した2001年のスイス戦

 フランスが次に優勝を果たしたのは2001年のことであった。スイスのヌーシャテルで行われた準々決勝のスイス戦は今でも語り草となっている。シングルスの第1試合はフランスのアルノー・クレマンとスイスのマルク・ロセとの対戦、序盤は1セットずつ分けあい、第3セット、第4セットはいずれもタイブレークで決着し、最終の第5セットとなった。この第5セットは延々と試合が行われ、15-13というゲームスコアでクレマンが競り勝った。そしてこの第2試合にはまだ19歳のロジャー・フェデラーが出場したのである。(続く)

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