第1827回 フランスカップ4強決定(4) 名勝負を繰り返してきたパリサンジェルマンとナント

 4年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■今季初めて前半に2点を奪ったモナコがレンヌを下す

 2月11日に3試合行われたフランスカップのベスト8決定戦、前回の本連載では17時キックオフで前年度王者のギャンガンがCFAのイズールを下した試合を紹介したが、続く2試合はベスト8決定戦にはもったいない好カードが続いた。
 19時キックオフの試合はモナコ-レンヌ戦である。モナコはリーグ戦の順位を着々と上げて5位、レンヌは現在12位である。モナコは失点は少ないが得点も少なく、元々サッカーの人気が高くない土地柄に加え、スター選手も放出したうえ、ゴールシーンが少ない試合を展開するとあって、観客動員は伸び悩み、この日も観衆は僅か2000人。この日は若手選手を起用し、18歳のアリマミ・トゥーレが9分に先制点をあげると、11分にもワラスがヘディングで追加点をあげる。モナコが前半位2点を取ったのは今季初めてのことである。レンヌは前半の間に1点を返したが、モナコは後半の67分にアントニー・マルティアルが3点目を入れて3-1と勝利したのである。

■フランスカップ決勝史上屈指の好ゲーム、1983年6月11日

 そして21時キックオフの試合はベスト8決定戦の中で一番の好カード、パリサンジェルマン-ナント戦である。パリサンジェルマンはリーグ3位、ナントは9位であり、1部リーグで1桁順位同士の顔合わせとなったが、この両チームは過去のフランスカップで幾度となく名勝負を演じてきた。決勝で戦ったのは1983年と1993年の2回である。1983年6月11日の決勝のパリサンジェルマンの主力メンバーはナバタング・トコ、ルイ・フェルナンデス、ドミニク・ロシュトー、サフェット・スシッチと攻撃陣に人材がそろった。一方のナントはウィリアム・アヤシュ、マキシム・ボッシ、ジョゼ・トゥーレ、バヒド・ハリルホジッチと攻守に人材が集まった。
 この試合先制したのはパリサンジェルマンであった。3分に先生をするが、ナントは17分に同点に追いつき、40分位トゥーレが逆転ゴールをあげて、1点をリードして折り返す。しかしパリサンジェルマンは65分位スシッチが同点に追いつくゴールをあげる。さらにトコが82分に見事な決勝ゴールをあげて、パリサンジェルマンが3-2と勝利している。パリサンジェルマンにとって2年連続2回目のフランスカップ獲得となったこの決勝は今でもフランスカップ決勝史上屈指の好ゲームとしていまだに語り継がれている。
 2度目の決勝での対戦はその10年後である。この試合は少々残念なものになった。ファンは10年前の決勝の再現を期待していたが、後半の立ち上がりにパリサンジェルマンはアントワン・コンブアレ、ダビッド・ジノラ、アラン・ロッシュが立て続けにゴールをあげる。ナントはクリスチャン・カランブー、ゾラン・ブリッチ、ジャン・ルイ・リマの3人がレッドカードで退場してしまう。一方的な展開でナントは全く攻めることができず、パリサンジェルマンの一方的な試合となってしまった。
 それ以外にも1999年のベスト16決定戦、2004年の準決勝ではいずれもPK戦にまでもつれての決着となった。

■パリサンジェルマンがナントを下し8強入り

 このように過去のフランスカップで名勝負を演じていた両チームの対戦とあって注目を集めた1戦となった。舞台は両チームがフランスカップ決勝を争ったパルク・デ・プランス、4万人近い観衆が集まった1戦となったが、先制点はパリサンジェルマンのエディンソン・カバーニ、直前のリーグ戦のリヨン戦はブレーキとなってドローに終わったが、その無念さをこの先制点で晴らした。さらに34分にはヨアン・カバイエが追加点、2度の決勝と同様にパリサンジェルマンがナントを下したのである。

■ブルターニュ勢、コンカルノーに続きブレストもPK戦で勝利

 ベスト8決定戦最後の試合は2月13日、メッスが2部のブレストを迎える試合である。前回の本連載で紹介したICクロワ-コンカルノー戦に続き、ロレーヌ対ブルターニュの試合となったが、この試合もアウエーのブルターニュのブレストがPK戦で勝利した。
 2月13日にベスト8が出そろい、いよいよ3月初めの準々決勝を迎えることになったのである。(続く)

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