第1936回 パリ同時多発テロ(2) シャルリー・エブド襲撃事件との違い

 4年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■3か月延長された非常事態宣言

 2015年という年の11月13日は11月7日とともにフランス人にとって、そして世界の人にとって忘れえぬ日となるであろう。
 スタッド・ド・フランスで始まった同時多発テロは13日の夜だけで129人の犠牲者を出し、イスラム国が犯行声明を発表する。
 フランスは非常事態宣言を出し、国民に不要の外出を避けるよう呼びかけ、国境封鎖を決定する。そして、フランス軍は米軍とともにシリアのラッカを空爆し、イスラム国の軍事拠点を破壊するとともにイスラム国軍に犠牲者が出た模様である。
 惨事の傷跡も癒えぬ18日にはサンドニ市内で事件の捜索中の警官隊と事件の首謀者のグループが銃撃戦を演じ、市民の不安は払拭されていない。フランス上院は非常事態宣言の3か月延長を可能にする法改正を可決している。

■1月7日のシャルリー・エブド襲撃事件との違い

 本連載の第1805回と第1806回で紹介した10か月前のシャルリー・エブド事件と比較すると、同じイスラム国によるパリ並びにその近郊でのテロ事件であるが、大きな違いがある。まず、シャルリー・エブド事件の場合は風刺週刊紙がイスラムを風刺したことに対してその編集部を襲撃した。今回は、サッカー場、コンサートホールと特定の政治的思想を持つわけではない多数の人々が集まるところで起こった無差別テロである。1月のシャルリー・エブド事件の際もパリ近郊の工場も襲撃しているが、イスラム国とは相反する思想を持つ集団を狙ったものであり、今回は多数の人々が集まるところを狙っている。

■両国首脳、大観衆を狙ったテロリスト

 世界チャンピオンのドイツ戦、誰しもが見たい試合であろう。さらに春の親善試合では思わぬ敗戦が相次いだフランスであったが、秋になってからの親善試合は4連勝、カリム・ベンゼマとマチュー・バルブエナが不在とはいえ、少なからぬ負傷者を抱えるドイツ相手に久しぶりの勝利をあげ、昨年のワールドカップ準々決勝での雪辱を果たすと多くのファンが期待して集まった。
 さらに第1934回の本連載でも紹介した通り、スタッド・ド・フランスにはフランソワ・オランド大統領とドイツのフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー外相が臨席する。これは両国の通常の外交活動に加え、今年3月にドイツの航空会社ジャーマンウィングス社の旅客機がフランス国内で墜落事故を起こし、その遺族をこの試合に招待していたという事情も重なる。大統領、さらに隣国の外相を含む8万大観衆の集うスタジアム、ワールドカップチャンピオンと来年の欧州選手権の開催国、テロリストたちにとっては最高の舞台である。テロリストはこの最高の舞台で戦いをキックオフすることを決めたのであろう。

■テロの標的となったスタジアムの安全確保

 シャルリー・エブド事件の後は市民がフランス各地でテロ反対のデモを実施し、大きなうねりとなった。そしてスポーツ界もテロ廃絶に対して多くの取り組みを行った。しかし、今回は非常事態宣言によって市民の外出は制限され、デモや集会などは不可能である。またスポーツ界も、試合等の開催については自ら並びに観客、関係者の安全を確保することが最優先課題となり、情報発信をするのは二の次となってしまった。

■テロが世界大戦につながった101年前の欧州

 さらに、フランスはフランソワ・オランド大統領が「フランスは戦争状態にある」と発言したように、シリアを空爆している。
 今から101年前、人類の歴史で初めての世界的な戦争となった第一次世界大戦が勃発した。この大戦はオーストリアの皇太子のフランツ・フェルディナンドがサラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ)訪問中に暗殺されたことにをきっかけに始まり、第二次世界大戦を上回る900万人の命を失っている。皇太子の暗殺というテロが世界大戦につながったわけであるが、スタッド・ド・フランスでのテロが戦争の始まりとなることは避けなくてはならない。(この項、終わり)

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