第3541回 リヨン、準々決勝で敗退 (1) フランスサッカーで忘れられない試合

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■忘れられない試合となったリヨン-マンチェスター・ユナイテッド戦

 ヨーロッパリーグの準々決勝のリヨンとマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)の試合は忘れられない試合となった。
 フランスのサッカーファンにとって忘れられない試合がいくつかある。
 まず、その試合の結果が栄冠につながっている試合である。代表的なものは1998年7月12日のワールドカップ決勝のフランス-ブラジル戦、そして1993年5月26日の第1回のチャンピオンズリーグの決勝、マルセイユ-ACミラン(イタリア)戦が双璧であろう。

■栄光をつかんだ1998年ワールドカップと1993年チャンピオンズリーグの決勝

 ワールドカップについてはジネディーヌ・ジダンのヘディングシュートなどでフランスが3-0と勝利し、初優勝を地元で飾っている。そしてチャンピオンズリーグの決勝では、この数年前から欧州の覇権を争ってきた両チームがミュンヘン(ドイツ)で対戦、バジル・ボリのヘディングシュートでマルセイユはフランスのチームとして初めて欧州三大カップ(現在の欧州カップ)で優勝した。
 いずれもフランスサッカーの歴史にとっては偉業であり、両方の試合に出場していたのはMFのディディエ・デシャン、DFのマルセル・デサイー、GKのファビアン・バルテスの3人、その中でデシャンは両方のチームで主将を務めていた。

■試合展開が劇的だった2022年ワールドカップ決勝

 一方、試合展開そのものが劇的な試合もファンにとって忘れられない試合となる。記憶に新しいところでは2022年のワールドカップ決勝のアルゼンチン戦がこれに相当するであろう。試合開始から一方的なアルゼンチンのペースで前半のうちに2点を入れる。対するフランスは攻撃陣が不調で後半残り10分となるまで枠内にシュートすることができない。
 ところが80分にフランスがPKを得て、キリアン・ムバッペがこれを決めて1点差とすると試合の流れは反転する。直後にムバッペが同点ゴール、それまでの試合展開とは全く逆となり、フランスが押し込み、アルゼンチンはロープに救われるかのごとく後半終了のホイッスルが鳴る。
 延長戦に入ってからも試合の主導権はめまぐるしく入れ替わる。延長後半に入った109分にアルゼンチンはリオネル・メッシが押し込んで勝ち越す。これで勝負あったかと思われたが、116分にムバッペのシュートがアルゼンチンDFの腕に当たり、PKの判定。ムバッペがこれを決めて追いつく。ここから延長戦が終了するまで、両チームにゴールチャンスが訪れるが、結局PK戦に突入する。PK戦では4人連続で成功させたアルゼンチンが優勝の栄冠を獲得した。

■シーソーゲームを制した1984年欧州選手権準決勝

 代表の試合では1984年の欧州選手権の準決勝のフランス-ポルトガル戦も忘れられない試合である。1960年の第1回大会以来の地元開催となったフランスはグループリーグを3戦全勝で突破、準決勝に進出する。準決勝の相手はポルトガル、舞台はマルセイユのベロドロームである。この試合も本連載第580回などで何回か紹介しているが、満員のスタジアムで、先制ゴールを決めたのはフランスのジャン・フランソワ・ドメルグ、25分にFKを決める。試合はこのまま終わるかと思われたが、74分にポルトガルはルイ・マニュエル・ジョルダンが同点ゴールを決めて、試合は延長戦に入る。
 延長戦で先手を取ったのはポルトガルであった。98分にジョルダンがゴールを決める。試合時間は残り20分強、ポルトガルは1点リードのまま、延長後半を迎える。ベロドロームには無数の三色旗が試合開始から疲れを知らず振り続けられる。残り6分となった115分、フランスはドメルグが同点ゴールを決める。そして、このままPK戦かと思われたところ、フランスの10番、ミッシェル・プラティニが決勝点を上げる。プラティニはこのゴールがこの大会4試合目で8得点目となる。決勝戦のスペイン戦でも1点を上げたプラティニは9得点で得点王となる。
 この試合は欧州選手権史上最高の試合という評価がなされており、優勝したフランスにとってもこの大会のハイライトは決勝ではなく、準決勝である。
 シーソーゲームとなったことがこの試合が忘れられない理由であるが、ホームアンドアウエーの2回戦制の方が強烈な思い出となる。次回はその典型となる試合を紹介しよう。(続く)

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