第57回 フランス人Jリーガー考

■フランスから日本に渡った監督、選手たち

 Jリーグの外国籍選手が妙技を披露したJOMOカップ。Jリーグでは多くの外国人選手が活躍し、日本代表の監督をフランス人のフィリップ・トルシエが務めている。しかしフランス人Jリーガーは、これまでにわずか5人しかいない。
 フランス人Jリーガーの第1号は1995年からアルセーヌ・ベンゲル監督とともに渡日した名古屋グランパスエイトのジェラルド・パッシとフランク・デュリックスである。その翌年には浦和レッドダイヤモンズにバジル・ボリが加わった。その後ベンゲルとすれ違いで名古屋にアノー・ベルナール・アルー、昨シーズンにはガンバ大阪のフランス人監督フレデリック・アントネッティとともにクロード・ダンブリーが日本の地を踏んだ。
 しかしながら、現在在籍しているのはダンブリーだけであり、ほとんどの選手は活躍の場に恵まれず、短期で日本の地を去っている。JOMOカップで外国籍選手選抜としてプレーしたのも1996年のボリのみである。そのボリにしてもマルセイユ黄金時代の守備の要であり、欧州チャンピオンズリーグの決勝で決勝点をたたき出し、1992年欧州選手権予選の「グランドスラム」の原動力であったことを考えるとJリーグ在籍2シーズン、31試合出場、2得点という成績は物足りない。また、もう一人の代表経験者でマルセイユ-モナコという黄金カードとなった1991年のフランスカップ決勝で終了間際に決勝ゴールを挙げマルセイユの二冠を阻止し、モナコに5回目のカップを連れてきたパッシは、わずか1シーズンで25試合出場、3得点とは寂しい限りである。
 さらに残念なことに、フランス代表経験のあるこの二人は、離日時にボリは30才、パッシは31才とまだ年齢的には引退する年齢ではなかった。だが、彼らはその長くすばらしいサッカー選手としてのキャリアを日本での不本意な成績で閉じてしまったのである。パリサンジェルマン育ちで来日前には若手のホープと期待されていたアルーも、1年の日本生活の後はフランスでの出場機会はない。唯一プロの選手として活躍しているのが現在セルベット・ジュネーブに所属しているデュリックスだけである。

■サッカー界におけるフランスと日本の「距離」

 このようにフランス人選手が活躍できない理由はどこにあるのだろうか。
 まず、日本とフランスのサッカーのスタイルが違うことが挙げられる。日本ではサッカーが基本的にはドイツ、イングランド、ブラジルという国をモデルにしている。日本人選手のプレースタイルは知らず知らずのうちにいずれかのスタイルに近くなっており、フランス人が子供のころからたたき込まれる「角度のあるパス」「中盤でのショートパスの多用」というスタイルとは相容れないものになっている。
 次にフランス人選手の数の少なさも影響している。伝統的に日本とフランスの間のサッカーにおける交流というものが非常に少ないことから、選手の移籍などは少ない。したがってどうしても少数派となるフランス人選手はいろいろと不利である。これは日本に移籍したイタリア人選手やスペイン人選手のビッグネームの例を考えてみればよくおわかりであろう。今シーズンの韓国人選手の日本での活躍を考えてみれば、距離的な近さよりは多くの韓国人選手がJリーグに所属していることの方が有利に作用していることがおわかりであろう。
 さらにフランス人は、ロンドンのチェルシーでそうであるように、外国で特定の地域に住みたがる傾向がある。日本の場合、フランス大使館のある広尾、フランス人学校や日仏学院のある飯田橋界隈ということになる。しかし、東京に本拠地を持つチームがないことが住環境を重視するフランス人が日本を敬遠する原因となっている。例えば浦和が東京から最も近いクラブであったことが、ボリが浦和に移籍する大きな理由のひとつとなった。ボリは東京に住み、浦和に通っていたが、近所に何人フランス人が住んでいるかを把握して都内の住居を決めたという。

■プライバシー、生活水準などで明らかな隔たりが・・・

 一方、なぜボリやパッシが若くしてサッカー選手のキャリアを閉じてしまったのか。これは日本のサッカーを語る上で重要なことと思われる。
 まず、フランス人のメンタリティーが日本のプロスポーツ選手としての生活になじまないことである。プロスポーツ選手とはいってもフランスではテレビのコマーシャルやバラエティ番組に出演することは極めて珍しい。一方、日本ではプロスポーツ選手は芸能人のように扱われ、プライバシーを侵害されることから、選手およびその家族のストレスを増大させることになっている。フランスではスポーツ紙は純粋にピッチの上で起こったことだけしか報じない。政治家や財界人やスポーツ選手のプライベートなことについては一般紙やスポーツ紙では報じられない。スキャンダルだけではなく結婚、出産なども話題にならない。個人主義の国フランスから来た彼らにとってプライバシーのない生活は辛く、ユニフォームを脱ぐほどの大きなショックを与えていたのである。
 それから、あまりにもサッカー選手に対する待遇が良すぎるということである。フランスでは考えられない高給だけではなく、住居、車など恵まれすぎた環境はスポーツマンとしてのスピリットを鈍らせた。また税制の違いによりチームから準備される住居などは日本では非課税になるため、とかく豪華になりがちである。デュリックスが日本にきて初めて驚いたことは選手が自分の鞄を自分で持たないことだったという。
 本連載でも紹介したように(第43回)、フランスでは育成段階において学業や職業教育をみっちりと受けさせられる。「ノブレス・オブリージュ(位高ければ徳高きを要す)」というフランス語のことわざがそのまま英語になっているとおり、高給取りになり、世間の注目を浴びるフランスのサッカー選手は、サッカーの技量だけではなく、品位、人格を要求されている。彼らにとって日本のサッカー選手との遭遇はまさに異星人との遭遇であった。
 騒がしく落ち着くことのできない日本のサッカーライフとフランスでは考えられない富の間でバランスを崩してしまったのがパッシでありボリである。日本から去ることが即引退となる例は、フランス人選手に限らず欧州系の選手に多く、日本に行くことを敬遠してしまう。
 日本を去ったフランス人選手の中で唯一活躍しているデュリックスについては場をあらためて取り上げることにしよう。

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