第3571回 パリサンジェルマン、ついに優勝 (10) 記録ずくめの優勝となったパリサンジェルマン
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■5点差は決勝での最多得点差記録
5月31日に行われたチャンピオンズリーグの決勝はパリサンジェルマンがインテル・ミラノ(イタリア)を5-0というスコアで破り、悲願の初優勝を達成した。
フランスのサッカーファンにとっては記憶に残る優勝であったが、様々な記録を残した決勝でもあった。まず、5-0というスコア、5点差が付いたのは前身のチャンピオンズカップ時代もなかった大差であった。大差がつく試合には2パターンあり、試合内容は拮抗していたが、片側のチームのシュートが次々とゴールに入るパターン、逆に試合内容もスコアも一方的になるパターンがあるが、このパリサンジェルマンとインテル・ミラノの試合は後者であった。シュート数はパリサンジェルマンの23本に対し、インテル・ミラノは8本、枠内シュートはパリサンジェルマンが8本、インテル・ミラノは2本にとどまる。これまで次々とシュートをセーブしてきたパリサンジェルマンのGKジャンルイジ・ドンナルンマもこの試合はほとんどその力を見せる場面がなかった。
得点のベースとなるのがシュートであるならば、攻撃のベースとなるのがパスであり、ボール支配率である。パスの本数はパリサンジェルマンが464本に対し、インテル・ミラノは287本、ボール支配率はパリサンジェルマンが59%、インテル・ミラノが41%と一方的な試合であった。
■決勝点で2ゴール1アシスト、3点に絡んだデジレ・ドゥエ
この試合で異彩を放ったのがパリサンジェルマンのデジレ・ドゥエである。レンヌに所属していたドゥエは年代別代表に入っていたが、パリオリンピックでは辞退者が続出、オリンピックを直前に控えた2024年3月にオリンピックチームに入り、パリオリンピックに出場し、その直後にパリサンジェルマンに移籍した。シーズン序盤は試合出場すらおぼつかない、将来の戦力という位置づけであったが、シーズン最終戦となるこの試合では2ゴール1アシストを記録している。チャンピオンズリーグ決勝で3得点に絡んだのはドゥエが史上初めてとなった。さらに、チャンピオンズリーグ決勝の時点でドゥエはまだ19歳(2005年6月3日生まれ)であり、ラミン・ヤマルとともにこれからの欧州サッカー界の主役となっていくであろう。
■32年ぶりの優勝となったフランス勢
そしてパリサンジェルマンはフランス勢として1993年のマルセイユ以来のチャンピオンズリーグ優勝となった。この時のマルセイユは八百長疑惑で欧州王者としてのインターコンチネンタルカップ出場などの権利を剥奪されたこともあり、フランスのサッカーファンはもろ手を上げて喜ぶことができなかったが、今回は心の底から喜ぶことができる。フランスのチームとして32年ぶりの優勝を果たしたわけだが、これは1992年にバルセロナが優勝し、1966年のレアル・マドリッドの優勝以来26年ぶりの優勝を果たしたスペイン勢を超える記録となった。
■最も優勝までに試合数を重ねながら、創立は最新の1970年
そしてパリサンジェルマンはこの試合がチャンピオンズリーグで167試合目となる。これは、初優勝までに要した最多の試合数であり、長い道のりのスロー優勝となった。これまでの記録は2023年に初優勝したマンチェスター・シティ(イングランド)の117試合であり、これを大幅に上回る記録となった。ちなみにチャンピオンズリーグでパリサンジェルマンより多くの試合をしながら優勝していないチームが3つある。アーセナル(イングランド)が211試合、ディナモ・キーウ(ウクライナ)が185試合、アトレチコ・マドリッド(スペイン)が176試合戦いながら、欧州の頂点に立っていない。
ただ、パリサンジェルマンのクラブ創立は1970年のことである。これまでの優勝チームの中で創立が最も新しいのは1986年に優勝したステアウア・ブカレストの1947年である。パリサンジェルマンはこれを大きく更新した。パリサンジェルマン以降に誕生したクラブが欧州の頂点に立つ日が来ることがあるだろうか。(この項、終わり)