第3608回 パリサンジェルマン、ハンドボールチーム訪日(2) カタール資本になってリーグ戦11連覇を達成

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■ルイ・ニコランがオーナーとなっても優勝できず

 1992年、サッカーのパリサンジェルマンは契約型衛星放送のカナルプリュスが経営に参画、ビッグクラブ宣言を行うとともに総合型スポーツクラブ構想を打ち出し、ハンドボールを含む多数の他競技のクラブがパリサンジェルマンの傘下に入った。
 しかし、その総合型スポーツクラブ構想も2000年代になると崩れ、ハンドボール部門はサッカーのモンペリエの名物オーナーのルイ・ニコランの手に落ち、パリ・ハンドボールとなる。ニコランはサッカー、バスケットボールに次いでハンドボールチームのオーナーになったが、それでもパリ・ハンドボールは優勝することができなかった。

■サッカーより1年遅れでカタール資本となったハンドボールチーム

 2011年にサッカーのパリサンジェルマンにカタールスポーツ投資庁が巨額の資金で出資、それ以降のパリサンジェルマンのイレブンの栄光をここで改めて紹介する必要もないであろう。その翌年、カタールスポーツ投資庁はパリ・ハンドボールを買収、パリサンジェルマン・ハンドボール部門が復活した。
 ハンドボールのパリサンジェルマンはサッカーと同じ上昇気流に乗る。まず、シャンベリーからフィリップ・ガルダン監督を獲得、そしてその年の夏に行われたロンドンオリンピックのリュック・アバロなどの3人の金メダリストを獲得した。さらに2011年の世界最優秀選手となったデンマーク代表のミケル・ハンセンも補強した。

■リーグ戦11連覇を果たす

 ここからはサッカーのパリサンジェルマンと同じ栄光の時代が続く。2012-13シーズンはリーグ初優勝を果たし、フランスカップでも準優勝する。翌2013-14シーズンはリーグ戦は2位になったものの、フランスカップでは優勝、2014-15シーズンに優勝に返り咲くと、そこから昨季までリーグ11連覇を果たしている。圧巻だったのは2021-22シーズンであり、30戦全勝という成績を残している。ここまでのフランスリーグの最多優勝チームはモンペリエの14回であり、パリサンジェルマンが最多優勝チームとなるのも時間の問題であろう。2016-17シーズンではフランスリーグ、フランスカップ、リーグカップの三冠を達成している(ハンドボールも現在のフランスではリーグカップは行われていない)。
 そしてサッカー同様、国内リーグ、カップで好成績を残したチームは欧州カップに出場することができ、最上位のチャンピオンズリーグでは準優勝1回、3位4回、さらに2016年にはクラブワールドカップに出場し、決勝に進出、ドイツのフュクセ・ベルリンに惜しくも28-29と惜敗している。カタール資本となってからのパリサンジェルマンはサッカーと同じ道を歩み、唯一異なるのは欧州チャンピオンの栄光だけであろう。

■ホームコートはパルク・デ・プランスの近くのピエール・クーベルタン体育館

 ビッグクラブとなったが、パリサンジェルマンが使用しているホームコートはクーベルタン体育館である。1937年のパリ万国博覧会の際に建設され、その翌年にはバレーボールとバスケットボールのフランス代表が試合をしている。1961年には世界柔道選手権が第3回目にして初めて日本以外で行われ、その舞台となる。そして、オランダのアントン・ヘーシンクが日本の神永昭夫、古賀武、曽根康治を次々と下し、優勝している。日本の皆様にとっては忘れられない会場であろう。また多くの政治集会が行われ、フランス政治の舞台となった。
 現在、パリにはベルシー総合体育館があり、多くのスポーツイベントが開催されているが、パリサンジェルマンはパリ・アニエール時代の1990年に13区のジュルジュ・カールパンティエ体育館からパルク・デ・プランスの近くのこの伝統的な体育館へ移転した。その後、2度にわたるパリサンジェルマンの傘下のクラブとなったことを考えればこの移転は正解であったと言えよう。(続く)

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