第348回 準々決勝ギリシャ戦(1) 46年前の欧州選手権最初の対戦相手

■グループリーグ最大の驚き、ギリシャの快進撃

 フランスの準々決勝の相手は、開催国ポルトガルを開幕戦で倒し、無敵艦隊スペインを引き分けに追い込んだ今大会の旋風児となったギリシャである。ギリシャの今までの国際舞台での成績を振り返れば、欧州選手権は1980年、ワールドカップは1994年と、それぞれ1回だけ本大会に出場している。1980年欧州選手権は西ドイツに引き分けただけで1分2敗、1994年ワールドカップでは3戦全敗といずれもグループリーグで姿を消している。今大会は予選グループ6でスペインをアウエーで下すという金星をあげてトップとなり、本大会出場を果たした。グループリーグで対戦した国との過去の対戦成績は対ポルトガル2勝2分4敗、対スペイン1勝1分5敗、対ロシア1勝4分2敗と分が悪く、今回もグループリーグで敗退するのではないか、と多くの人々が予想していた。第3戦こそロシアに敗れたが、ポルトガル、スペイン相手の立派な戦いぶりは今大会前半戦の最大の驚きであっただろう。
 フランスにとって準々決勝の相手はポルトガルかスペインであると想定していたことから、予想外の対戦相手となった。しかし、一発勝負のトーナメントの初戦、調子の波に乗るギリシャに気を許すわけにはいかない。

■1958年10月1日、フランスの欧州選手権デビュー戦は大勝

 さて、欧州選手権で連覇を目指すフランスにとって、ギリシャは記念すべき相手である。それはフランス人のアンリ・ドローネの提唱によって始まった欧州選手権で、フランスの最初の対戦相手がギリシャなのである。現在の欧州選手権は基本的にはリーグ戦方式の予選を経て勝ち残ったチームが本大会に出場する。しかし、1960年に決勝が行われた第1回大会から1976年に決勝が行われた第5回大会まではホームアンドアウエーのノックアウト方式のトーナメントであり、ベスト4が出揃った段階でそのいずれかの国に集まって準決勝、決勝を行うという方式であった。フランスは1958年10月1日にパリにギリシャを迎えている。その後2度優勝することになるフランスの欧州選手権の歴史がここに始まったのである。この試合は両国にとって初顔合わせである。フランス代表の歴史は1904年に始まり、今年で100周年を迎えるが、最初の50年間は、両国の合意で対戦相手が決定する親善試合が中心であった。一方、ワールドカップや欧州選手権の本大会、予選は抽選によって対戦相手が決まるわけであり、ギリシャとの初対決が欧州選手権であったということも理解できる。
 1958年当時のフランスは本連載の第5回から第12回で紹介したとおり、アルジェリア戦争の真っ最中であり、兵役に取られた選手もいたが、スウェーデンで行われたワールドカップで3位に入ったばかりである。フランスはワールドカップに出場したレイモン・コパ、ジュスト・フォンテーヌなどを中心にチームを構成し、ゴールラッシュで7-1とギリシャを一蹴する。

■アウエーの第2戦がドローとなった理由

 続く第2戦は12月3日に今回のアテネオリンピックの会場にもなっているパナシナイコス競技場で行われ、1-1というドローに終わり、通算成績でフランスが準々決勝に駒を進める。アテネの第2戦は、パリの第1戦とは大きく異なる結果となったが、これには理由がある。アテネに乗り込んだフランスのメンバーにはコパやフォンテーヌなどの主力選手が含まれていない。これは第1戦に大勝し、安全圏にあるから若手メンバーで臨んだのではない。同じ日にチャンピオンズカップ1回戦のHPS-ランス(Stade de Reims)戦があったため、ランスに所属するフォンテーヌ、アルマン・パンベルヌ、ジャン・バンサンなどはランスの試合に出場し、代表メンバーには入っていなかったのである。また選手だけではなく、当時ランスの監督と代表の監督を兼任していたアルベール・バトーもランスの試合の指揮を執っている。
 このように第1回の欧州選手権は提唱者の母国ですら、認知されないような状況であり、現在の隆盛はドローネには想像もできなかったであろう。

■通算成績はフランスの5勝1分

 ところでフランスとギリシャの対戦歴に話題を戻すと、それ以来の対戦は全て親善試合である。欧州選手権での対戦がその後の親善試合につながっていくという理想的なパターンである。フランス国内で3試合、アテネで1試合行い、いずれもフランスが2点差以上付けて勝利を手にしている。最後の対戦は1996年2月に南仏ニームで行われ、フランスが3-1で勝っている。フランスの対ギリシャ戦の通算成績は5勝1分と優勢であるように見えるが、気をつけなくてはならないのは6試合全てでフランスが失点しているという点である。(続く)

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