第353回 欧州選手権を振り返って(2) 欧州新時代を象徴するファイナリスト

■東西冷戦と決勝進出チームの歴史

前回の本連載ではギリシャが初優勝した今回の欧州選手権において有力リーグを持つ国が早々に敗退すると共に、予選で好成績をあげたAシードの国が揃ってグループリーグを首位で突破したことを紹介した。これらは、筆者が大会前の5月に日本のNumber PLUSという雑誌に寄稿した「欧州統合の夢とユーロの意義。」という記事に対してコメントしたものであるが、今回の大会を欧州統合という観点から振り返ってみると興味深いことがわかる。
 欧州選手権が始まったのは1958年、東西冷戦と欧州統合という相反する流れの中でこの大会は成長してきた。この決勝戦の組み合わせを振り返ってみよう。第1回大会の決勝戦はソ連-ユーゴスラビア、東側陣営が西側陣営の拠点であるパリでその力を見せ付けた。1964年の第2回大会決勝では開催国スペインがソ連を下す。そして1968年に行われた第3回大会の決勝でも開催国イタリアがユーゴスラビアを下す。ベルギーで行われた第4回大会も西ドイツがソ連を下して優勝する。3大会連続して西側の国が東側の国を決勝で倒し、第1回大会の雪辱を果たす。初めての東側陣営での開催となった1976年ユーゴスラビア大会ではチェコスロバキアが西ドイツを倒し、4大会連続となった決勝での東西対決の対戦成績を2勝2敗の五分に持ち込む。この大会を最後に東側陣営の決勝進出が一旦途絶え、1980年大会の決勝は西ドイツがベルギーを下し、1984年大会ではフランスがスペインを下している。そして冷戦終結前最後の大会となった1988年大会でソ連が決勝に進出するが、爆発的な攻撃力を持つオランダの前に沈んでいる。このように東西の対決色は冷戦終結に向けて薄くなっていった。

■欧州連合の創設6か国と決勝戦の歴史

 そしてもう一つ注目すべき点は欧州統合とこの大会の決勝戦進出国である。Number PLUSの記事にも紹介したが、欧州統合の中心となったのは1952年にフランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグの6か国で創設された欧州石炭鉄鋼共同体であり、現在の欧州連合の母体である。その後、欧州石炭鉄鋼共同体は欧州共同体、欧州連合と成長し、今年5月に新たに中東欧の10か国を加え、25か国に拡大している。実は1968年の第3回大会以来、決勝戦には必ず欧州石炭鉄鋼共同体のメンバーが必ず顔を出していた。欧州選手権が東西冷戦と欧州統合というある意味では相反する政治的な動きの中で開催されてきたことを考えれば、この大会にかける欧州統合のコアメンバーとも言える国々の威信もまた忘れてはならないことである。

■12回目にして初めて「大西洋」の国で本大会開催

 欧州統合を夢見たシャルル・ド・ゴールは「大西洋からウラルまで」という表現でその熱き思いを語っている。シャルル・ド・ゴールによる第五共和制のスタートとほぼ同時期に始まった欧州選手権は「ウラル」の国での本大会開催は今までないが、ようやく12回目にして「大西洋」の国で本大会を迎えることになった。そしてその12回目の決勝戦に進出してきたのはギリシャとポルトガルであった。ギリシャは欧州共同体に1981年に10番目のメンバーとして加盟し、ポルトガルは1986年にスペインと共に11番目のメンバーとなっている。

■主役のギリシャとポルトガルが象徴する欧州新時代

 ベルリンの壁の崩壊と共に東西冷戦が終結し、欧州連合への中東欧10か国の加盟とともに欧州統合がこれで一段落した。東西冷戦と欧州統合という欧州の2つのテーマが終結した本大会、主役はイデオロギーに燃えた東欧諸国でもなければ欧州統合の推進役となってきた欧州石炭鉄鋼共同体創設6か国でもなかった。ましてや世界中のスター選手を抱えた有力リーグを持つ4か国でもなかった。
 今大会の主役は欧州統合に地理的、経済的、政治的な理由から一足遅れて参加した国であった。ギリシャとポルトガルが開幕戦と決勝戦を争った今回の欧州選手権は、欧州が東西冷戦、欧州統合という前世紀後半から続く2つの命題を乗り越えてたどり着いた欧州新時代を象徴する大会であったと後々まで語り継がれることになろう。(この項、終わり)

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