第1293回 アルバニア、ルーマニアと連戦(3) 台風の目となったアルバニア、主将のロリック・カナ

 3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、救援活動、復旧活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■予選でグループ最下位が指定席だったアルバニア

 前回の本連載は、フランスとアルバニアが1992年欧州選手権予選で対戦したことを紹介し、この唯一の対戦でフランスはアウエーで苦戦しながらホームでは大勝した。結局フランスは8戦全勝し、スペイン、チェコスロバキアという強豪を抑えてスウェーデンでの本大会に進出している。
 かたや、アルバニアであるが、ホームのアイスランド戦に1-0と勝利しただけで全敗、さらに最終戦のホームゲームのスペイン戦はすでにフランスが本大会出場を決めており、アルバニアが政情不安であることから両国の申し出によって試合が行われず、結局アルバニアの成績は1勝6敗、勝ち点2(当時は勝利場合の勝ち点は2)で、最下位にとどまった。
 アルバニアは1994年ワールドカップ予選でも1勝2分9敗でグループ最下位、1996年欧州選手権予選も2勝2分6敗、1998年ワールドカップ予選も1勝1分8敗とグループ最下位が指定席であった。そのアルバニアが最下位を脱出したのが2000年欧州選手権予選であり1勝4分5敗で6チーム中5位となった。2002年ワールドカップ予選では1勝7敗で再びグループ最下位となった。

■2004年欧州選手権予選以降は最下位を脱出

 しかし、2004年欧州選手権予選以降、アルバニアは指定席である最下位を脱した。2004年欧州選手権予選は2勝2分4敗で5チーム中4位、2006年ワールドカップ予選は4勝1分7敗で7チーム中5位、2008年欧州選手権予選も2勝5分5敗で7チーム中5位、2010年ワールドカップ予選は1勝4分5敗で6チーム中5位となっている。

■台風の目となった今回の予選

 そして今回の2012年欧州選手権予選であるが、第6シードまである中で第5シードに入っている。念のため紹介すると第1シードがフランス、第2シードがルーマニア、第3シードがボスニア・ヘルツェゴビナ、第4シードがベラルーシ、第6シードがルクセンブルグとなっている。ところが、今大会の予選では旋風を起こした。昨年9月の開幕戦ではアウエーでルーマニアに1-1とドロー、第2戦はホームでルクセンブルクに1-0と手堅く勝利、9月の2試合が終わった段階でベラルーシとともに勝ち点4で首位に立った。さらに10月になっても8日にボスニア・ヘルツェゴビナ相手を迎えてドロー、12日にはベラルーシとの首位決戦がミンスクであり、0-2と敗れはしたが、1勝2分1敗で2011年を迎えた。今年3月にはベラルーシをホームに迎え、1-0と返り討ち、予選の半分の日程を終えた段階で2勝2分1敗で首位フランスと勝ち点4差の3位であった。6月7日のアウエーのボスニア・ヘルツェゴビナ戦を0-2と落とし、一歩後退して4位で最後の秋の戦いを迎えた。

■パリサンジェルマンとマルセイユで活躍したロリック・カナ

 20年前のアルバニアから大きく成長してフランスと対戦することになった。20年前は半鎖国状態だったアルバニアであるが、現在は多くの選手が国外で活躍している。その代表が主将のロリック・カナであろう。本連載で何回も紹介しているが、パリサンジェルマン、マルセイユで活躍し、現在はイタリアのラツィオに所属している。
 プロサッカー選手の父を持ちコソボに生まれたカナは内戦を避けるために少年時代にスイスに逃亡する。ローザンヌでジュニアチームに所属し、イングランドのアーセナルのアルセーヌ・ベンゲル監督に見いだされる。ところがアーセナルへの移籍はビザの問題があり実現せず、2000年にパリサンジェルマンへ移籍し、フランスでプロサッカー選手となった。ストッパーとしてのパリサンジェルマン、マルセイユでの活躍は改めて紹介する必要もないが、代表チーム入りはアルバニア、スイス、フランスのいずれかを選ぶことができた。その中で2003年に鷲のマークのアルバニア代表を選び、何と代表デビュー戦はスイス戦であった。そして第三の故郷であるフランスと初めて戦うことになるのである。(続く)

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