第328回 UEFAカップ初優勝ならず、失意のマルセイユ

■日本のファンの印象に残るイエーテボリとバレンシア

 フランス国歌である「ラ・マルセイエーズ」は「いざ進め、祖国の子らよ、栄光の日はやってきた」と言う歌詞で始まる。2004年5月19日がその栄光の日となるか、決戦の舞台は北欧スウェーデンのイエーテボリである。イエーテボリ、日本のサッカーファンの皆様にとっては懐かしい地名であろう。この都市を代表するIFKイエーテボリは大阪万博開幕を控えた1970年3月に訪日しているだけではなく、1996年3月にもスウェーデンのチャンピオンとして日本のチャンピオンチームである横浜マリノスと対戦している。決勝の行われる19日には、前回訪日した際の主催者の経営不振がおりしも伝えられ、多くの方がイエーテボリの名を思い出されたであろう。
 マルセイユの対戦相手であるバレンシアも日本の皆様にとってはなじみの深いチームであろう。1979年の訪日時にはメインの日本代表戦を広島で開催することを希望している。イレブンは広島平和記念公園で献花し、被爆者への追悼をささげたが、その中には軍事政権下でワールドカップ優勝を果たしたアルゼンチン選手もいた。平和を願うアルゼンチン人選手の胸中はあまりにも複雑であったであろう。スペインリーグの王者となったバレンシアは過去3回欧州カップの頂点に立っているが、最近はチャンピオンズリーグの決勝に進出しながら、2000年にはレアル・マドリッド、2001年にはバイエルン・ミュンヘンに阻まれ、東京行きのチケットを逃している。

■4回目の決勝進出で初タイトルを狙うマルセイユ

 一方のマルセイユは本連載でたびたび紹介してきたが、これが4回目の欧州カップ決勝である。初の決勝は1991年のチャンピオンズカップ、レッドスター・ベオグラードを一方的に押し込みながらスコアレスドローに持ち込まれ、PK戦で涙をのんでいる。1993年のチャンピオンズリーグでは宿敵ACミランを下しながら、八百長疑惑でビッグイヤーを剥奪されている。そして1999年にはUEFAカップの決勝に進出する。しかしながら、モスクワでパルマに敗れ、それから5年の月日が経過した。マルセイユにとって「栄光の日」となるかどうかの鍵を握る男はディディエ・ドログバである。今季欧州カップでは大活躍、モナコの決勝進出を支えているのがフェルナンド・モリエンテスであり、マルセイユの5年ぶりの決勝進出を支えたのはドログバの欧州カップ15試合11得点という得点力である。この二人の欧州カップ男の国内での対決となった5月9日の第35節でドログバは負傷し、第36節、第37節と試合を欠場している。
 ドログバの出場を多くのファンが心配したが、決勝のピッチに姿を現す。イエーテボリまで行くことができないファンがマルセイユの旧港の巨大が面の前に1万5000人集まる。思えば11年前、ミュンヘンでのACミランとのチャンピオンズリーグ決勝戦の翌日、マルセイユのイレブンは船に乗って湾内をパレードした。そしてその試合で唯一のゴールを決めたバジル・ボリはドログバと同じコートジボアールの出身であった。

■前半ロスタイム、ファビアン・バルテスにレッドカード

 マルセイユは気合十分、前半も無得点が続くが果敢に攻め、押し気味でハーフタイムを迎えようとする。ところが前半ロスタイム、マルセイユのGKファビアン・バルテスがペナルティエリア内でミスタを倒してしまう。ピエールルイジ・コリーナ主審はペナルティスポットを指差すとともに、バルテスにレッドカードを差し出す。この段階でマルセイユの夢は消えたと言っても過言ではない。急遽交代出場したジェレミー・ガバノンの壁を難なくビセンテの蹴ったPKは破り、ハーフタイム。後半に入っても人数的に優位に立つバレンシアはボールと試合を支配する。58分には先制のチャンスを作ったミスタがノーマークとなって左足で追加点。防戦一方となった後半のマルセイユにとって、唯一の見せ場となった66分のドログバのFKもスペイン代表サンティアゴ・カニサレスのパンチングに阻まれる。

■失意のマルセイユ、来季のインタートトカップ欠場を表明

 24年ぶりの欧州カップ優勝を果たしたバレンシアの左サイドDFアメデオ・カルボーニは、カップウィナーズカップで優勝したサンプドリア時代以来14年ぶりに欧州カップを制したが、39歳43日で欧州の頂点に立つと言う最年長記録の更新と言うおまけまでついた。一方、失意のマルセイユは出場権を得られるであろう来季のインタートトカップへの出場辞退を試合後表明し、来季は国内タイトルに専念することになった。勝者と敗者のコントラストがあまりにも強烈な一夜となってしまったのである。(この項、終わり)

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