第1010回 チャンピオンズリーグ本戦開幕(4) ベテラン勢の活躍でACミランが勝利

■ACミランとの決勝を最後に転落したマルセイユ

 グループAのユベントス(イタリア)-ボルドー戦と9月15日の同時刻にキックオフされたのが、マルセイユ-ACミラン(イタリア)戦である。この両チームの戦いについては本連載で何回か取り上げてきた。1990年前後に両チームは絶頂を迎え、3回戦い、マルセイユは2勝1分と勝ち越している。しかしながら、この時代にACミランが欧州の頂点に2回立ちながら、マルセイユは1度も立てずじまいであった。正確に言うとマルセイユは1993年5月のチャンピオンズリーグ決勝でACミランに勝利しながら、同年に起こった八百長疑惑でタイトルを剥奪、それを契機に転落し、2部降格の憂き目にも会い、国内外でのタイトルからも見放されている。

■マルセイユの歴史に影響を与えたライバルのACミラン

 この時代のACミランの存在がマルセイユをビッグクラブにしたことは事実である。歴史に「もし」は禁句であるが、もしこの時代にACミランという存在がなければ、マルセイユはチーム強化を図らず、リーグ戦で下位を低迷していたチーム相手に八百長を仕掛けることもなかったであろう。(八百長事件とはリーグ戦終盤の段階でチャンピオンズリーグ決勝を控えたマルセイユが、下位を低迷していたバランシエンヌ相手に八百長をもちかけたことである)もし八百長事件を起こしていなければ、マルセイユは2部に降格することもなければ、経営陣が一掃されることもなく、その後も国内ではいくつかのタイトルを手にし、場合によってはチャンピオンズリーグなどの欧州カップのタイトルも獲得していたかもしれない。マルセイユの関係者にとって、このように過去を振り返りたくなってくる相手がACミランなのである。

■改装後初めてACミランを迎えたベロドローム競技場

 ボルドーがアウエーで第1戦を迎えたのとは逆に、マルセイユは地元ベロドローム競技場で第1戦を迎える。ベロドローム競技場は1998年の地元開催のワールドカップで改装をしており、過去のマルセイユの栄光を知らないスタジアムである。そしてACミランとの唯一のマルセイユでの対戦からすでに18年が経過してしまった。
 チャンピオンズリーグとして最初の大会の決勝で勝利したマルセイユは、その後低迷し、1999-2000シーズンにチャンピオンズリーグに復帰、それ以来今回が5回目の出場となるが、1999-2000シーズン以外はグループリーグで敗退している。10年ぶりのグループリーグ突破に向けて初戦が因縁のACミランとの地元での戦い、両チームの監督は、マルセイユはディディエ・デシャン、ACミランはレオナルドと1998年のワールドカップのファイナリスト、舞台は整った。

■クラレンス・セードルフとフィリッポ・インザーギの活躍

 前回紹介したユベントスの地元トリノも、そして今回紹介するマルセイユも激しい雨の中での戦いとなった。地元ファンの声援に後押しされた意欲満々のマルセイユは長身FWのブランドンを軸に積極果敢に攻めるが、ゴールは生まれない。逆に27分、クラレンス・セードルフが絶妙の動きからチャンスを作る。左サイドからのクロスに合わせたのは、今季リーグ戦では先発出場のなかったフィリッポ・インザーギ、ベテラン勢のコンビネーションでACミランは先制点を奪う。
 そして前半の終了間際からマルセイユが猛攻勢に出る。マルセイユは前半終了間際に同点のチャンスをつかんだが、ACミランのGKに阻まれる。コートを変えた後半開始直後もマルセイユはACミランのゴールを襲い、49分にはブノワ・シェイルーのFKをアルゼンチン代表のガブリエル・エインセがヘッドで決めて同点に追いついたのである。ここからはベロドロームのピッチを支配したのはマルセイユであった。勝ち越しゴールは時間の問題と思われたが、逆に勝ち越し点を上げたのは白いユニフォームのACミランであった。74分にはセードルフの左サイドのクロスをインザーギが決めると言う1点目と同じパターンでACミランは勝ち越したのである。
 セードルフ33歳、インザーギ36歳、2人のベテラン選手の活躍でACミランが勝利、実はACミランにとってフランスでチャンピオンズリーグ6試合目にして初めての勝利だったのである。(続く)

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