第1952回 チャンピオンズリーググループリーグ終盤戦(3) リヨン、ジェルランでの最終戦を飾れず敗退

 4年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■勝ち点1の最下位に低迷するリヨン

 第5節で決勝トーナメント進出を決めたパリサンジェルマンについて前々回と前回の本連載で紹介したが、今回はもう1つのフランス勢のリヨンについて紹介しよう。
 リヨンは11月下旬の段階でリーグ戦の順位は2位であるが、首位のパリサンジェルマンとは勝ち点の差で実に13も差をつけられている。また、チャンピオンズリーグもグループHでここまで4戦して第1戦のゲント(ベルギー)戦で終盤に勝ち越しのチャンスを得ながら逃して引き分けたのが唯一の勝ち点で、その後バレンシア(スペイン)、ゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)に3連敗、勝ち点1の最下位に沈んでいる。
 第4節終了時のグループHの成績であるが、ゼニト・サンクトペテルブルクが4連勝の勝ち点12で首位、すでに決勝トーナメント進出を決めている。2位は勝ち点6のバレンシア、3位は勝ち点4のゲントとなっている。リヨンの残り試合はゲント戦とバレンシア戦であり、数字の上では、2位以内に入ることも可能である。

■ジェルランでの欧州戦のラストゲームとなるリヨン

 リヨンの第5節は11月24日、ゲントを本拠地ジェルランに迎えることになる。この1戦はリヨンにとって特別な試合となる。11月から12月にかけて本連載でも紹介してきたとおり、来年フランスでは欧州選手権が開催される。この欧州選手権に向けていくつかの競技場が新設される。そのうちの1つがリヨンのリュミエール競技場であり、来年初めから使用される。これに伴ってリヨンのホームゲームも来年以降はリュミエール競技場で行われることになり、このゲント戦がチャンピオンズリーグでの最後の試合となる。
 1989年に1部に復帰してからは2部に陥落することなく、2000年代には7連覇を飾ったリヨンは欧州カップの常連チームである。これまでにチャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグ、そしてヨーロッパリーグの前身のカップウィナーズカップ、UEFAカップでリヨンがジェルラン競技場でホームゲームを戦ったのは実に95試合に上る。これはパリサンジェルマンのパルク・デ・プランス、マルセイユのベロドロームを上回り、フランス国内で最多となる。この95試合の中でリヨンはレアル・マドリッド(スペイン)を2回倒し(2005年、2006年)、2001年にはバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)に勝利している。さらに1986年にはカップウィナーズカップの決勝のディナモ・キエフ(ソ連)-アトレチコ・マドリッド(スペイン)戦も行っている。

■後半ロスタイムに決勝点を奪われ、最下位決定

 このように数々の栄光の舞台となったジェルランでのラストゲーム、ゲントに勝利すればヨーロッパリーグに転戦できる3位になる。3万人以上のファンが集まったこの試合、リヨンは7分にジョルダン・フェリーがラシド・ゲザルからのパスを受けて、クリーンシュート、幸先良いスタートを切った。リヨンは追加点のチャンスがたびたびあったが主将のアレクサンドル・ラカゼットがチャンスでゴールを奪うことができない。一方のゲンクは32分にFKを直接決めて同点に追いつく。
 引き分けでも決勝トーナメント進出が消えるリヨンであったが、後半も勝ち越し点を奪えないまま時計の針が進む。そしてロスタイムに入り、観客も帰路につく準備を始めたとき、ゲントはCKのチャンスを得る。ラストプレーとなったこのCK、ゲントは交代出場してきたばかりのカリファ・クリバリーがヘディングで勝ち越し点を決める。リヨンはジェルランでの欧州最終戦を落とし、グループHで最下位が決定、ヨーロッパリーグにも届かなかった。

■最終戦を白星で飾ったフランス勢

 フランス勢はすでに第5節で順位が決まってしまったが、第6節はパリサンジェルマンがシャフタール・ドネツク(ウクライナ)に2-0と勝利し、決勝トーナメントへの弾みをつけた。リヨンもアウエーでバレンシアに2-0と遅すぎる初勝利、グループHは5連勝のゼニト・サンクトペテルブルクを最終戦で破ったゲントが2位に入った。(この項、終わり)

 今年の入稿はこれが最後です。本年もご愛読ありがとうございました。読者の皆様良いお年をお迎えください。

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