第2631回 チャンピオンズリーグ決勝トーナメント開幕(1) パリサンジェルマン、ボルシア・ドルトムント戦の唯一の勝利

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■パリサンジェルマンはボルシア・ドルトムント、リヨンはユベントスと対戦

 年が明けてからの本連載では、フランスカップ、リーグカップというリーグ戦以外の国内のタイトルについて紹介してきた。注目すべきは今回から紹介するチャンピオンズリーグの決勝トーナメントを戦うパリサンジェルマンとリヨンがリーグカップのファイナリストとなり、フランスカップではベスト4に入り、準決勝で対戦することである。過密日程の中ですべてのタイトルを勝ち進んできた両チームがいよいよ欧州の舞台に戻ってきた。
 決勝トーナメント1回戦でパリサンジェルマンはドイツのボルシア・ドルトムントと2月18日にアウエーで、3月11日にホームで対戦し、リヨンはイタリアのユベントスと2月26日にホームで、3月17日にアウエーで対戦する。

■9季前のヨーロッパリーグのグループリーグでは2試合とも引き分け

 グループリーグを首位通過したパリサンジェルマンはアウエーでの第1戦となる。これまで両チームは欧州カップで対戦したことがある。それは本連載第1195回で紹介した2010-11シーズンのヨーロッパリーグのグループリーグでのことである。両チームにスペインのセビリア、ウクライナのカルパティ・リビウを加えたグループJは4チーム中3チームが欧州カップでの優勝経験がある。パリサンジェルマンとボルシア・ドルトムントは中盤戦の第3節と第4節に対戦した。連勝スタートのパリサンジェルマンはアウエーの第3節でも終盤に追いつき、決勝トーナメントに王手をかけてホームでの第4節の試合に臨んだが、スコアレスドローに終わり、結局、2引き分けという戦績である。

■リーグ戦開幕の前週に行われていたトゥルノワ・ド・パリ

 ただ、オールドファンの皆様であれば、1950年代から1990年代まで行われていたトゥルノワ・ド・パリ(パリトーナメント)をご記憶であろう。この大会は夏の期間にパリで行われていたプレシーズンマッチの大会である。1975年から1993年まではパリサンジェルマンがホストとなって国内外から3チームを招き、パルク・デ・プランスで準決勝と決勝、3位決定戦を行っていた。1994年になると当時パリサンジェルマンの大株主となったカナルプリュスの意向によって取りやめられ、その後は2010年と2012年に行われたが定着しなかった。リーグ開幕の1週間前に行われていたが、同時期にリーグ優勝チームとフランスカップ優勝チームが争うチャンピオンズトロフィーが開催されるようになったことも、この大会が復活しない理由であろう。

■ボルシア・ドルトムントに完勝したパリサンジェルマン

 多くのパリジャンがバカンスに出てしまい、閑散としたスタジアムで行われる大会だが、毎年豪華な顔ぶれが集まった。この大会にボルシア・ドルトムントは2回参加している。1回目は1964年大会、まだパリサンジェルマンが誕生する前のことであり、この時は準優勝している。そして2回目が1992年大会である。この時は国内からモナコ、国外からボルシア・ドルトムントとイングランドのリバプールが出場した。準決勝の第1試合でモナコとリバプールが対戦、当時のモナコの監督はアルセーヌ・ベンゲルである。モナコは2点を先制、リバプールはPKで1点を返すにとどまり、モナコが勝利した。
 準決勝第2試合でパリサンジェルマンとボルシア・ドルトムントと対戦、ドルトムントからもファンがパリに駆け付ける。また、当時は多くの日本人がドイツに在住し、パルク・デ・プランスには黄色と黒のユニフォームを着た日本人の姿も見える。当時のボルシア・ドルトムントの監督はオットマー・ヒッツフェルト、このクラブでの活躍がその後の大きな財産となる。一方、パリサンジェルマンの監督はポルトガル人のアルツール・ジョルジュであった。先制点はパリサンジェルマン、リベリアの怪人、ジョージ・ウエアが決める。さらにメッスから移籍してきたばかりのフランソワ・カルデラロも追加点をあげる。対するボルシア・ドルトムントは1点を返すが、パリサンジェルマンは、その後名古屋グランパスでも活躍したバウドが3点目を決めて、3-1と勝利した。
 パリサンジェルマンは決勝でもモナコを破り、6年ぶり5回目の優勝を果たしたのである。(続く)

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