第3007回 マルセイユ、準決勝で敗れる(5) ホームの第2戦はスコアレスドローで敗退

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■連勝がストップしたマルセイユ、無敗をキープするフェイエノールト

 ヨーロッパカンファレンスリーグの準々決勝、マルセイユはオランダのフェイエノールトと対戦し、第1戦はアウエーで2-3と惜敗する。試合自体は互角であったが、肝心なところで守備の乱れにより、勝ち越された。マルセイユは今季の欧州カップではヨーロッパリーグのグループリーグの最終節からヨーロッパカンファレンスリーグの準々決勝第2戦まで7連勝を果たしたが、この連勝記録がストップした。他方、フェイエノールトはヨーロッパカンファレンスリーグでは決勝トーナメントに入ってから4勝1分と無敗をキープした。
 第2戦はサッカーの都、マルセイユ、ベロドロームでの戦いとなる。フランスから6チームが参加した欧州カップも5月まで勝ち残ったのはマルセイユだけとなった。マルセイユがフランス勢の中で最後まで残るのは2018年以来4年ぶりのこととなる。

■RBライプチヒに逆転し、レジェンドとなった酒井宏樹

 4年前はヨーロッパリーグの決勝に進出し、5月16日にアトレチコ・マドリッド(スペイン)とリヨンで対戦、アントワン・グリエズマンの2ゴールなどで0-3と敗れ、欧州制覇はならなかった。それ以来の欧州の頂点へのチャレンジとなるが、この時の準々決勝はマルセイユのファンの語り草となっている。ドイツのRBライプチヒと対戦、第1戦がアウエー、第2戦がホームであった。アウエーの第1戦では0-1と敗れる。そしてホームに戻ってきた第2戦では5-2と勝利して見事に準決勝進出を決めた。
 この試合の5点目のゴールを決めたのが酒井宏樹である。このゴールで酒井はエリック・カントナやジャン・ピエール・パパンと並ぶマルセイユのレジェンドとなったのである。それから4年、マルセイユ、いやフランスのファンは逆転劇を楽しみにし、5万に近い観衆がベロドロームに集った。

■フリアニの悲劇からちょうど30年となった5月5日に行われた第2戦

 第2戦がマルセイユで行われたのは5月5日、この日はマルセイユにとって、フランスにとって忘れられない日である。20年前の1992年5月5日、フランスカップ準決勝のバスティア-マルセイユ戦がバスティアのフリアニ競技場で行われる予定であった。人気チームのマルセイユを迎えるとあって、フリアニ競技場は3か月前にアルベールビル冬季五輪のスケート会場で使用した座席を仮説スタジアムとして建設する。しかし、満員の観衆を受け入れた仮説スタジアムは崩壊し、死者17人、負傷者2000人以上というフランスサッカー史上最悪の事故となり、フリアニの悲劇として現在も語り継がれている。

■攻めながらも得点をあげられなかった前半、フェイエノールトが盛り返した後半

 その準決勝から30年、マルセイユのイレブンは決意も新たにピッチに入る。第1戦に勝利したフェイエノールトはメンバーを変えず、マルセイユは2人メンバーを入れ替えた。マルセイユは序盤から攻勢に出る。激しい試合となり、11分には第1戦のフェイエノールト勝利の立役者シリエル・デセルスがピッチに倒れる。マルセイユはボール保持率で7割を超し、シュートを放つが、なかなか先制できない。そしてマルセイユで最もシュートを放った男、ディミトリ・パイエが30分に負傷のため、試合続行が不可能となり、ピッチを去る。パイエに代わって入ってきたのは第1戦では先発したアルカディウシュ・ミリクが入る。ミリクはフェイエノールトのライバルのアヤックス・アムステルダムに所属したこともあり、出場早々に好機を作る。主将のパイエのいなくなったマルセイユ、リーダーシップをとるのはアミン・アリであった。しかし、そのアリも前半終了間際に警告を受ける。
 前半は無得点に終わったマルセイユ、後半に何とか1点を奪い、2点目をあげたいところである。しかしながら、後半はフェイエノールトが盛り返したこともあり、得点をあげることができず、スコアレスドローとなる。結局、1分1敗でマルセイユは準決勝で敗退し、フランス勢最後の望みは消えたのである。(この項、終わり)

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