第3062回 チャンピオンズリーグ開幕(2) 1989-90シーズンのUEFAカップでユベントスに連敗

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■28季連続で欧州三大カップに出場したユベントス

 前回はパリサンジェルマンとユベントス(イタリア)の最初の対戦となる1983-84シーズンのカップウィナーズカップ2回戦(ベスト8決定戦)の模様を紹介した。 その後、ユベントスは準々決勝でフィンランドのハカ、準決勝でイングランドのマンチェスター・ユナイテッドを下し、スイスのバーゼルで行われた決勝ではポルトガルのポルトを下し、優勝した。翌年の1月にトリノで行われたスーパーカップではチャンピオンズカップで優勝したイングランドのリバプールをズビグニェフ・ボニエクの2ゴールで下している。
 そしてユベントスはこの1983-84シーズンはリーグチャンピオンとなり、1984-85シーズンは現在のチャンピオンズリーグであるチャンピオンズカップで初優勝する。そして好成績を続け、1963-64シーズンから欧州三大カップには連続出場を続け、1989-90シーズンまで28シーズン連続出場を果たす。当時は現在ほど欧州カップの出場チーム数は多くなく、この記録は非常に価値のあるものであろう。1988-89シーズンはリーグで4位、現在であればチャンピオンズリーグに出場できるが、当時はチャンピオンズカップに出場できるのはリーグチャンピオンのみであり、1989-90シーズンは現在のヨーロッパリーグの前身となるUEFAカップに出場した。

■リーグ初優勝も、チャンピオンズカップ1回戦で敗退したパリサンジェルマン

 一方のパリサンジェルマン、1986年にはリーグで初優勝し、1986-87シーズンにはチャンピオンズカップに初出場する。1回戦の相手はチェコスロバキアのMFKビートコビツェ、チェコスロバキアリーグで初優勝したばかりで、初出場同士の対戦となる。しかし、ホームで引き分け、アウエーで敗れて初戦で敗退する。

■UEFAカップ2回戦でユベントスと対戦したパリサンジェルマン

 1980年代末から、フランスではマルセイユが黄金時代を謳歌する。その中でパリサンジェルマンは1988-89シーズンは2位になり、UEFAカップに出場、5回目の欧州カップ挑戦となる。1回戦(ベスト32決定戦)でフィンランドのラハティを下し、2回戦(ベスト16決定戦)に進出する。ここでユベントスと対戦する。
 第1戦は10月18日にパルク・デ・プランス、第2戦は11月2日にトリノで行われ、奇しくも6年前と全く同じ日、同じ場所で試合をすることとなった。このシーズンからパリサンジェルマンはユニフォームのサプライヤーに米国のナイキを起用し、それ以来現在まで継続している。ユベントスは6年前に対戦した時のような準イタリア代表ではなかったが、それでもイタリア代表としては主将でGKのステファノ・タッコーニをはじめ、ルイジ・デ・アゴスティーニ、サルバトーレ・スキラッチ、ピエールルイジ・カシラギなどのメンバーがそろい、外国籍選手としてはポルトガル代表のルイ・バロス、当時のソ連代表のアレクサンドル・ザハロフ、セルゲイ・アレイニコフが所属していた。バロスはポルトガルのポルト時代にインターコンチネンタルカップで訪日、アレイニコフはJリーグの創成期にガンバ大阪に所属しており、日本の皆様はよくご存じであろう。

■ホーム、アウエーとも連敗し、ユベントスに屈したパリサンジェルマン

 パルク・デ・プランスでの第1戦、白いユニフォームのパリサンジェルマンは劣勢、試合を優勢に進めたのは青いセカンドユニフォームのユベントスであった。パリサンジェルマンは守備を固めるが、その堅い守備を打ち破ったのは身長が160センチに満たないバロスであった。パリサンジェルマンの最終守備ラインを抜けて、フランス代表GKのジョエル・バツから1点を奪う。結局この1点が決勝点となり、パリサンジェルマンはホームの第1戦を落とす。
 万聖節の休暇中にトリノで行われた第2戦、得点をあげたいパリサンジェルマンは攻撃的な布陣を取る。26分にユベントスに先制を許したが、このシーズンにニースから移籍し、その後のパリサンジェルマンを支えることになるダニエル・ブラボーが3分後に同点ゴールを決める。パリサンジェルマンが2-1で勝利すれば、アウエーゴール2倍ルールで勝ち抜くことになる。攻めるパリサンジェルマン、守るユベントスという展開になったが、82分にユベントスのデ・アゴスティーニがゴールを決め、パリサンジェルマンは連敗し、敗退した。一方のユベントスは東ドイツのカール・マルクス・シュタット、西ドイツのハンブルク、1FCケルンを破って決勝に進出、決勝では同じイタリアのフィオレンティーナを下し、この大会でも優勝したのである。(続く)

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