第3542回 リヨン、準々決勝で敗退 (2) 1993年UEFAカップ準々決勝、パリサンジェルマン-レアル・マドリッド戦

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■パリサンジェルマン、レアル・マドリッドと初対決

 前回の本連載ではフランスのサッカーで忘れられない試合として初の栄光を獲得した1998年のワールドカップ決勝のブラジル戦、1993年のチャンピオンズリーグ決勝のマルセイユ-ACミラン(イタリア)戦、そして試合展開の目まぐるしさとして2022年のワールドカップ決勝のアルゼンチン戦、1984年の欧州選手権の準決勝のポルトガル戦を紹介した。試合展開の目まぐるしさという点ではホームアンドアウエーの2試合戦には及ばない。
 その代表ともいえる試合が1993年のUEFAカップ準々決勝のパリサンジェルマンとレアル・マドリッド(スペイン)の対戦であろう。1970年に設立された新興チームのパリサンジェルマンはようやく1990年代になって当時の欧州三大カップにコンスタントに出場するようになる。他方、レアル・マドリッドはチャンピオンズカップでは第1回から連覇を続けるなど、名門チームである。近年ではチャンピオンズリーグでしばしば顔を合わせる両チームであるが、この時が初対決であった。さらにそれまでパリサンジェルマンは欧州三大カップでいわゆるビッグクラブと対戦したのはユベントス(イタリア)と2度顔を合わせただけで、いずれも敗れている。

■マドリッドでの第1戦、終了間際にアラン・ロッシュが退場

 まず第1戦は3月2日、マドリッドのサンチャゴ・ベルナベウ競技場で行われた。レアル・マドリッドはブトラゲーニョが先制、チリ代表のイバン・サモラノが追加点、2点をリードしてハーフタイムを迎える。パリサンジェルマンも後半の立ち上がりにダビッド・ジノラが1点を返す。当時はアウエーゴール2倍ルールがあり、アウエーの第1戦で1-2という敗戦は望み薄ではない。ホームの第2戦で1-0で勝利すればよいからである。このままで試合が終わるか、と思われたが89分、レアル・マドリッドのシュートをパリサンジェルマンのDFのアラン・ロッシュが手で止めてしまう。このハンドに対し、イングランド人主審はレッドカードを提示、レアル・マドリッドはミッシェルがPKを成功させ、3-1となり、ロッシュは退場処分となる。この直後に試合終了の笛は吹かれる。
 ロッシュの退場は試合終了直前であり、これが通常の試合であれば、退場処分自体はこの試合の残り時間にはほぼ影響がなかった。しかし、ロッシュは次の試合は出場停止となり、パリサンジェルマンはフランス代表のストッパーを欠く陣容で、第2戦を2点差で迎えることになった。

■終盤を迎えても1点足りないパリサンジェルマン

 3月18日にパルク・デ・プランスで行われた試合、出場停止のロッシュに代わって背番号5をつけて出場したのはアントワン・コンブアレであった(当時の欧州三大カップでは先発メンバーは1番から11番までの番号をつけることになっていた)。少なくとも3点が必要なパリサンジェルマン、前半の33分にジョージ・ウェアが先制点を入れるが、追加点をあげることなく、時計の針は動いていく。現在のパリサンジェルマンの監督のルイス・エンリケは当時レアル・マドリッドに所属しており、この試合にも先発出場していた。ルイス・エンリケがベンチに退いてから、この試合は急展開を迎える。81分にダビッド・ジノラが2点目をあげる。ただ、当時はアウエーゴール2倍ゴールが存在したため、このままではパリサンジェルマンは及ばない。

■最後の7分間で3ゴール、勝敗の二転三転した劇的な展開

 ここからこの試合は3つのゴールが入るが、それぞれのゴールの瞬間に勝利の女神の微笑む側が変わっていく。87分にパリサンジェルマンのバウドがゴールを決めて、パリサンジェルマンがベスト4行きのチケットをつかむ。しかし、アディショナルタイムに入った93分、レアル・マドリッドはサモラノのゴールで1点返し、2試合ともスコアは3-1となり、延長戦で雌雄を決することになる。多くのファンが延長戦を覚悟した94分、ロッシュの代役のコンブアレがヘディングシュートを決めて、パリサンジェルマンが4-1,2試合通算で5-4となる。
 180分の戦いのうち、最後の7分間の3ゴールで勝利の行方が二転三転したこの試合は、今でもフランスのサッカーファンにとって、忘れられない試合となったのである。(続く)

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