第1099回 パリサンジェルマン、フランスカップを獲得 (5) パリサンジェルマン、8度目の優勝

■初めてのスタッド・ド・フランスで決勝を迎えるモナコ

 今年で92回目となるフランスカップの決勝はパリサンジェルマンとモナコの顔合わせとなった。モナコがフランスカップ決勝で戦うのは1991年以来19年ぶりのことである。当時、フランスカップの決勝はパリサンジェルマンの本拠地であるパルク・デ・プランスで行われていた。したがってモナコがスタッド・ド・フランスでフランスカップ決勝を戦うのは初めてのことである。ちなみにモナコはリーグカップでは2001年と2003年に決勝に進出し、2001年はリヨンに敗れているが、2003年はソショーを破って優勝している。

■スタッド・ド・フランスでの決勝の常連となったパリサンジェルマン

 一方のパリサンジェルマンはモナコがフランスカップの決勝から遠ざかっている間に7回も決勝に進出している。そしてこのうち5回優勝を飾っている。さらに1994-95シーズンから始まったリーグカップでも4回決勝に進出し、3回優勝している。つまり1992年以降、モナコが2回しか決勝に進出していないのに対し、パリサンジェルマンは11回も決勝に進出し、8回優勝すると言う圧倒的な成績を誇っているのである。
 そして現在決勝戦の舞台となっているスタッド・ド・フランスは1998年1月にオープンしたが、この年の春に行われたリーグカップ、フランスカップともにパリサンジェルマンが優勝している。つまりフランスカップもリーグカップもスタッド・ド・フランスでの初代王者なのである。
 パリサンジェルマンはサッカーのクラブチームとしては最も多くの試合をスタッド・ド・フランスで行っている。パリサンジェルマンにとってスタッド・ド・フランスは、パリ近郊という地理的な要因だけではなく、第2のホームと言っても過言ではないであろう。

■多彩な顔ぶれがそろった決勝戦のスタンド

 スタッド・ド・フランスは7万7000人の観衆で埋まった。そのほとんどはパリサンジェルマンのファンである。フランスカップの決勝と言うこともあってスタンドの顔ぶれも多彩である。ニコラ・サルコジ大統領はもちろんのこと、モナコ公国からはアルベール2世が臨席する。50年前にフランスカップを制覇したモナコのメンバーも招待されている。準決勝に進出し、今大会の主役となったクビリーのイレブンもベストアマチュアチームに選出され試合前にピッチ上で表彰を受けている。さらに、訪日を控えたフレデリックの周りには人垣ができた。モナコの朴主永はアジア人として初めてフランスカップのファイナリストとなり、アジア人として最高の栄誉となったのである。
 ほとんどがパリサンジェルマンのファンであったが、モナコからは8000人のファンが集まった。モナコの人口の3分の1であり、4年前のリーグカップ決勝の3倍という大応援団であり、サッカー人気不毛の地モナコにとっては歴史的な日となった。

■2年前の延長戦の雪辱を果たしたパリサンジェルマン

 試合はカップ戦のスペシャリストであり、多数のサポーターに後押しされたパリサンジェルマンが一方的に支配する。前半からビッグチャンスをつかむが、なかなか得点に結びつかない。そして前半終了間際にモナコは決定的なチャンスをつかむが両チーム無得点。圧倒的に45分を支配したパリサンジェルマンであるが、前半終了間際にモナコのシュートを浴びて、ハーフタイムを迎える。
 後半に入り、モナコは体勢を立て直すが、終始パリサンジェルマンが試合を支配する。しかしながらパリサンジェルマンは次の45分もノーゴール。試合は2年ぶりに延長戦に突入する。2年前はリヨンとパリサンジェルマンの対戦であり、両チーム無得点で延長戦に入り、リヨンが決勝点を決められている。
 延長前半は負傷者が続出し、2分のロスタイム。そしてこの2分のロスタイムの最後にパリサンジェルマンの主将クロード・マケレレが攻撃の起点となり、最後はギヨーム・オアローがヘディングゴールで均衡を破る。 この105分に決めたゴールをパリサンジェルマンは延長後半の残り15分守りきり、勝利する。
 最大のライバルであるマルセイユがリーグカップを制し、18年ぶりのタイトルを獲得したばかりだっただけに、パリサンジェルマンの8度目のフランスカップ獲得はパリジャンを熱狂させたのである。(この項、終わり)

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