第1344回 1部勢が参戦、新春のフランスカップ (3) 次々と敗れた1部勢、敵地で最多観衆を記録したマルセイユ

 昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■ニースもオセールも初戦を突破

 フランスカップベスト32決定戦、32試合のうち最初の3試合に登場してきた1部勢のバランシエンヌとディジョンが2部のチーム相手に勝利した。そして1月7日の土曜日の夕方に登場したニースはCFA2部のマルクを下し、オセールは延長戦の末に同じくCFA2部のシャンブリを振り切っており、1部勢の登場は4連勝とまずまずの成績を残した。

■初戦で姿を消したロリアン、ブレストのブルターニュ勢

 1部勢で最初につまずいたのはロリアン、ブレストというブルターニュ勢である。18時にキックオフされた試合でロリアンは2部のルアーブルと対戦する。点の取り合いとなり、先行したのはルアーブル、ロリアンも負けじと2得点を奪って逆転、さらに今度はルアーブルが2点連取し再逆転となる。後半の60分にロリアンはPKを決めて追いついたが、ルアーブルは80分に決勝点をあげ、4-3というスコアで勝利した。そして中西部のナショナルリーグのニオールと対戦したブレストは前後半に1点ずつ奪われて0-2と完敗、2つ下のカテゴリーのチームに敗れてしまう。

■ソショー、カーンも初戦敗退

 この1月7日にはこれ以外に1部のチームが8チーム登場する。そのうち4チームは1部勢同士の戦いとなり、残りの4チームは下部リーグのチームの挑戦を受ける。
 下部リーグの挑戦を受けた4チームであるが、このうちソショーとカーンは、ジャイアントキリングに遭遇してしまった。ソショーはコルス島のバスティアと対戦した。バスティアは1981年にフランスカップで優勝したことがあり、準優勝は1972年と2002年の2回がある。また、1992年のフランスカップ準決勝で起こったバスティアの悲劇から20年、リーグ戦よりもカップ戦で記憶と記録に残るチームであり、今季ナショナルリーグから2部へと復帰したばかりである。ソショーはアルマン・チェザーリ競技場と改名したバスティアの本拠地で開始早々に失点したのを皮切りに得点を許し、1-4と惨敗してしまう。
 そしてもう一つ、この夜でフランスカップから去ったのが、2部のトロワと戦ったカーンである。カーンはリーグ戦では11月6日の第13節から6試合連続で勝ち星から見放され、リーグ戦は順位を14位と落として折り返している。カーンはホームのミシェル・ドルナノ競技場で戦うが、フランスカップの初戦とはいえ、観衆はわずか2,000人、これには理由がある。3日後の1月10日にはもう一つのカップ戦であるリーグカップの準々決勝でマルセイユを迎えるからである。このさびしいスタンドが選手の士気に影響したのか、相手のトロワに前半2点先行を許してしまう。後半に追い付き、試合は延長戦へともつれこむ。しかし延長前後半に1店ずつ失点し、2-4と敗れてしまう。

■スタッド・ド・フランスの5万観衆の前で大勝したマルセイユ

 残りのリールとマルセイユは初戦を突破したが、リールはDHのシャンティに6-0、マルセイユはナショナルリーグのレッドスターに5-0とそろって大勝した。マルセイユの戦いについては少々解説が必要であろう。
 パリ近郊のサントゥーアンを本拠地とするレッドスターは、ワールドカップ生みの親であるジュール・リメが創設したクラブで、かつて日本代表監督も務めたフィリップ・トルシエも所属した名門クラブである。フランスカップでは5回の優勝、今季は70年ぶり6回目の優勝を狙いたいところであるが、リーグ戦ではナショナルリーグで18位である。今回のベスト32決定戦でマルセイユとの対戦を引き当て、スタッド・ド・フランスでの試合開催を決定した。レッドスターの最前線にはかつてマルセイユで活躍したスティーブ・マルレがおり、スタッド・ド・フランスは5万人を超える観衆が集まった。今季のフランス国内のクラブのサッカーで5万人以上が集まったのはこれが初めてである。異様な雰囲気の中で行われたこの試合、躍動したのはマルセイユで会った。次々とゴールを重ね、本拠地の収容人員が改修による削減のため、今季最高の観衆の中で見事に勝利を挙げたのである。(続く)

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