第1843回 フランスカップのファイナリスト決定(2) ズラタン・イブラヒモビッチ爆発、パリサンジェルマンも決勝へ

 4年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■下位のリーグチーム相手に勝ち進んだ3チーム

 前回の本連載ではフランスカップの準決勝でオセールがギャンガンを下し、10年ぶり6回目の決勝進出を果たしたことを紹介したが、今回はもう1つの準決勝を紹介しよう。
 オセールが決勝進出を決めた翌日の4月8日、パリサンジェルマンが本拠地パルク・デ・プランスにサンテチエンヌを迎える。前回の本連載で紹介したオセールとギャンガンが準決勝まで上位リーグのチームと戦ってこなかったことを紹介したが、それはサンテチエンヌも同じである。初戦のベスト32決定戦と次のベスト16決定戦は2部勢が相手であり、ベスト8決定戦と準々決勝は3部に相当するナショナルリーグ勢と対戦してきた。

■優勝経験のある1部勢相手に4連勝したパリサンジェルマン

 これら3チームとは対照的で、パリサンジェルマンはベスト32決定戦ではモンペリエ、ベスト16決定戦ではボルドー、ベスト8決定戦ではナント、準々決勝ではモナコとここまで4試合連続で1部勢、しかもフランスカップ獲得経験のある強豪チームと戦ってきた。
 また、サンテチエンヌがベスト32決定戦のナンシー戦は延長戦、ベスト16決定戦のツール戦はPK戦と下部のリーグのチーム相手にてこずったのとは対照的に、パリサンジェルマンは1部の強豪チーム相手を寄せ付けない強さを見せてきた。

■1982年5月15日、ミッシェル・プラティニのサンテチエンヌ、痛恨の準優勝

 このような数字を見るとパリサンジェルマンが圧倒的に有利に見えるが、古豪サンテチエンヌはパリサンジェルマンに負けられない。サンテチエンヌが最後にフランスカップの決勝を戦ったのは1982年5月15日のことである。この時も相手はパリサンジェルマン、そしてスタッド・ド・フランスのなかった当時の決勝はパルク・デ・プランスであった。この試合、パリサンジェルマンが先制するが、サンテチエンヌはこの試合を最後にイタリアのユベントスに移籍するミッシェル・プラティニのゴールで同点に追いつく。延長になり、99分にプラティニが逆転ゴール、これが決勝点になるかと思われたが、パリサンジェルマンは120分にドミニク・ロシュトーが起死回生の同点ゴール、PK戦を6-5と制したパリサンジェルマンが優勝する。
 それ以来、両チームはフランスカップで対戦していない。また、2012年のリーグカップ準々決勝では対戦したが、この時は逆にPK戦でサンテチエンヌが勝利している。サンテチエンヌにはPK戦のスペシャリスト、ステファン・ルフィエが控えているのである。

■ズラタン・イブラヒモビッチのハットトリックで圧勝

 満員の観衆の中で行われた準決勝、緑のユニフォームを着用してパリに出てきた多数のサンテチエンヌのファンは失望するだけに終わった。21分にサンテチエンヌの右サイドDFのクレルクがエセキエル・ラベッシにペナルティエリア内でファウル、このPKをズラタン・イブラヒモビッチが決め、パリサンジェルマンは33年前の決勝同様、先制する。サンテチエンヌは25分に追いついたものの、守勢の中で前半を終え、後半に入るとパリサンジェルマンの攻撃陣が爆発する。60分にラベッシが勝ち越しゴールを奪うと、その後はいつものイブラ劇場が始まった。81分位ブレーズ・マツイディのパスを受けて、得点をあげ、ロスタイムの92分位はドリブルで次々とサンテチエンヌの守備陣をかわし、ハットトリック達成となる3点目を入れる。パリサンジェルマンはこの準決勝も1部上位のサンテチエンヌを4-1と一蹴する。
 これでパリサンジェルマンは4年ぶり13回目の決勝進出となった。オセールとも2003年に対戦しているが、この時はオセールが2-1と勝利している。
 イブラヒモビッチは3年前にパリサンジェルマンに移籍してきて以来、この日の3得点により、公式戦の通算得点が大台を突破し、102点となった。あと7点でクラブ史上通算最多得点をあげているパウレッタに追いつく。イブラヒモビッチはパリサンジェルマン在籍3シーズン目となるが、フランスカップは6試合出場で9得点(リーグ戦は89試合出場で73得点)と相性がいい。
 さて、5月23日の決勝、イブラ劇場の再現か、2003年大会決勝の再現か、今から楽しみである。(この項、終わり)

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