第1144回 2010-11フランスリーグ開幕(2) 出世チームのアルル・アビニョンも3連敗で1部の壁

■収容人員を1万7000人に拡大したアビニョンの本拠地

 クラブ創設98年にして初めて1部リーグでプレーするアルル・アビニョン、チーム名の由来は前回の本連載で紹介したとおり、もともとアルルのクラブが2部に昇格した際に十分な収容人員のあるスタジアムを確保しなくてはならず、同じローヌ川の上流にあるアビニョンの運動公園競技場を使用したためにチーム名を変更している。この運動公園競技場の収容人員は1万人であり、これまでこの競技場の最多観衆記録は20年前のフランスカップで地元のアビニョン・フット84がベスト8決定戦に進んだ際に記録した1万4000人である。今回の1部昇格を機に急遽工事を行い、収容人数を1万7000人に拡大した。1部20チームの本拠地としてはブレストのフランシス・ルブレ競技場(1万6000人収容)、バランシエンヌのナンジュッセ競技場(1万6500人収容)に次いで3番目に小さな競技場である。
 アビニョン・フット84は最多観客動員を記録した時はフランスカップで準々決勝まで進出したが、アルルよりもさらに下位のリーグに所属する弱小チームであり、アルルのチームがアビニョンで試合を行うことに特段の反応はなかったという。

■1部で最低の予算、選手の給与も平均の半分

 そしてアルル・アビニョンがユニークなのはそのチーム名だけではない。このチームは非常に少ない予算で運営していることで有名である。年間予算は1800万ユーロ、これは1部リーグ20チーム中最低であり、2部リーグのチームまで含めてもかなり低い。選手の平均給与は2万5000ユーロ、これは1部の選手の年俸のほぼ半分である。
 このような低予算でありながら、1部に昇格したアルル・アビニョンは経営陣を刷新、かつてASカンヌを成功に導いた71歳のマルセル・サレルノとパリの金融界で一世を風靡した45歳のフランソワ・ペローの2人が共同会長となる。そして14人の選手を新たに獲得した。彼らを率いる現場の責任者である監督はミッシェル・エスタバン、このクラブのかつての選手であり2005年から指揮を執っている。

■2001-02シーズン以来、常に右肩上がりの順位

 そしてこのクラブの最もユニークな点は過去10年間の戦績である。昨季は2部リーグで3位であることは前回の本連載で紹介したとおりであるが、その前年(2008-09シーズン)は3部リーグに相当するナショナルリーグに所属し3位だった。つまり、2部に昇格したシーズンに1部に昇格したアルル・アビニョンは、日本の相撲でいえば十両に昇格し、わずか1場所で幕内入りするようなものである。今回の野球賭博事件で話題になった清瀬海が市原と名乗っていた2007年11月場所の17年ぶりの快挙を思い出される日本の読者の方は少なくないであろう。市原は入門以降、幕下付け出しから始まり、幕内入りするまで6場所連続で勝ち越した。
 実はアルル・アビニョンも過去9年間1度も負け越すことなく、出世してきた。ナショナルリーグは2シーズン(2007-08:8位、2008-09:3位)で通過、その前の2006-07シーズンは4部に相当するCFAで優勝し、わずか1シーズンでCFAを卒業している。また、その前の5シーズンはCFA2に所属していたが、2001-02シーズンは8位、2002-03 シーズンは6位、2003-04シーズンは6位、2004-05シーズンは3位、2005-06シーズンは2位と順位を上げてきた。2000-01シーズンはCFAで16位に終わりCFA2部に降格したが、その2001-02シーズン以降一貫して順位を上昇させている。多くのチームが順位を上げたり下げたりしている中で順位が上がる一方のチームというのは極めて珍しいであろう。

■3連敗スタート、1部の洗礼を浴びる

 そのようなアルル・アビニョンはリーグ開幕戦はアウエーでソショーと対戦、1-2と惜敗し、苦いデビュー戦となる。そして第2節の8月14日、ついに本拠地アビニョンの運動公園競技場にランスを迎える。この本拠地では過去19試合で13勝6分と抜群の強さを誇るアルル・アビニョンである。また相手のランスも開幕戦を落としたうえ、イスラム系の選手が多く、ラマダンの影響を受ける選手が9人存在する。1万人を超える観衆を集めたホームデビュー戦であったが、アルル・アビニョンは試合終盤に1点を許し、0-1と敗れてしまう。アルル・アビニョンは第3節の敵地でのトゥールーズ戦も0-1と開幕3連敗を喫し、最下位に陥落するという厳しい1部の洗礼を浴びたのである。(続く)

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