第1143回 2010-11フランスリーグ開幕(1) 初めての1部となるアルル・アビニョン

■2部から昇格したカーン、ブレスト、アルル・アビニョン

 前回まで紹介したノルウェーとの親善試合と前後してしまったが、8月7日にフランスリーグが開幕した。昨季はマルセイユが久しぶりの優勝を果たし盛り上がりを見せたが、今季もマルセイユと一昨季の覇者であるボルドー、さらにその前年まで未踏の7連覇を果たしたリヨンというチームを軸に長丁場の戦いが繰り広げられる。
 さて、優勝争いを行うであろうと目されるこれらのチームではなく、今回は新たに1部に昇格してきた注目チームを取り上げよう。フランスリーグの1部と2部は毎年3チームが入れ替わる。1部20チーム中で18位以下の3チームは2部に降格、そして2部20チーム中3位までのチームが1部に昇格する。2009-10シーズンは1部18位のルマン、19位のブローニュ、20位のグルノーブルが2部に降格し、2部からは優勝したカーン、2位のブレスト、そして3位のアルル・アビニョンが1部に昇格してきた。

■わずか1季で2部から返り咲いたカーン、19年ぶり復帰のブレスト

 カーンは1年前に2部に陥落したが、わずか1シーズンで1部に返り咲いた。カーンが1部に初昇格したのは1988年のことであるが、このところ1部と2部を往復しておりこれが5回目の1部昇格、今世紀に入ってからは3度目の慶事である。
 ブレストは1990-91シーズン以来20シーズンぶりの1部である。ブレストが最初に1部に昇格したのは1979年、1980年代にはカメルーン代表監督として日本でも有名なポール・ルグアン、1998年ワールドカップ優勝時のFWステファン・ギバルッシュなどを擁し1部で活躍していたが、1990年にクラブの財政が破たんする。そのため1990-91シーズンは11位でありながら、プロの資格を剥奪され、3部リーグ(1993年まで存在し、現在のナショナルリーグ)に降格させられる。一時は4部リーグに相当するCFAまでその地位を下げるが、2000年にナショナルリーグに復帰、そして2004年に2部に復帰する。2部での6シーズン目に2位になり、19年ぶりの1部復帰となったのである。

■南仏の世界遺産の街、アルルとアビニョン

 1位のカーンはわずか1年、2位のブレストが20年ぶりと対照的な期間での復帰を見せたが、3位のアルル・アビニョンはこれが最初の1部昇格である。クラブ名にあるアルルとアビニョンはそれぞれ有名な都市の名前である。アルルはブーシュ・ド・ローヌ県でマルセイユに次ぐ都市であり、ローマ遺跡とロマネスク建造物が世界遺産に指定されている。文化面でも、ジョルジュ・ビゼーが作曲した「アルルの女」の舞台であり、フィンセント・ファン・ゴッホが住み、「アルルの女」を制作した街である。とりわけ日本の皆様にとってはイオンモール橿原アルルがこの都市からイメージされており、フランスの中でも親しみのある都市であろう。
 一方、アビニョンはアルル同様、ローヌ川沿いの都市であり、アルルよりも上流に位置している。アルルから離れること40キロ弱、ボークリューズ県の県庁所在地である。教皇宮殿や大聖堂のある市内中心部は世界遺産に指定されている。しかし何と言っても一番有名なのは童謡「アビニョンの橋の上で」で知られるサン・ベネゼ橋であろう。ローヌ川の度重なる反乱で、川の半分までしか残っていないが、世界でも有数の姿を知られた橋であろう

■ACアルルがACアルル・アビニョンに変わった理由

 さて、このアルル・アビニョンであるが、正式名称はACアルル・アビニョン(ACは体育クラブという意味)、クラブに2つの都市の名がある理由を紹介しよう。1912年にアルルにあった3つのクラブが合併し、ACアルルとして発足した。その後もアルル市内のクラブを合併したが、チームはアマチュアのままで、全国レベルではなく地域レベルで活動してきた。そして2008-09シーズンはナショナルリーグで3位になり、2部に昇格する。
 この段階でACアルルは2つのことをしなくてはならなくなった。まず、1つはチーム自体のプロ化であり、これは2009年5月22日にプロとしての登録を終えた。もう1つは十分な収容人員をもつ競技場の確保である。アルルの本拠地、フェルナン・フルニエ競技場は2500人しか収容人数がなく、ACアルルはその解決策としてアビニョンの運動公園競技場を利用することになった。ホームタウンがアルルでありながら、本拠地のスタジアムがアビニョンという現象が起こった。ACアルルはこれを機会にACアルル・アビニョンと名前を変えたのである。(続く)

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