第1207回 ファイナリストが決まったリーグカップ (5) 決勝戦はモンペリエ-マルセイユ戦

■過密スケジュールとなったシード勢、控え選手、若手選手が活躍

 前回の本連載ではリーグカップの準々決勝4試合の模様を紹介し、オセール、パリサンジェルマン、モンペリエ、マルセイユという4チームが準決勝に進出したことを紹介した。これら4チームはいずれもシードされており、順当な結果であると思われる読者の皆様も多いかもしれないが、実際はそうでもない。
 前回にも紹介した通り、シードチームの多くは欧州カップを戦っているわけであるが、この欧州カップ戦とリーグカップを並行して戦うとなると、週に2試合という状況が4週間連続する。疲労が蓄積した選手、スタッフで戦わなくてはならない。他のタイトルを争うチームが過密スケジュールとならないようにシード制はあるはずであるが、シードチームにとって今回のリーグカップの初戦であるベスト8決定戦、第2戦となる準々決勝の日程はそうではなかった。
 これらのチームはやむなく控え選手を多数出場させることになったが、結果的にはこれが功を奏した結果になった。チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグのグループリーグもまだ中盤であり、グループリーグ突破を手中にして控え選手を出場させる余裕もなければ、グループリーグ敗退が決まって若手選手のチャレンジの場を与える段階でもない。その結果、リーグカップで若手選手や控え選手にチャンスが与えられ、彼らのモチベーションが発揮される場となったのである。

■ユースチームからの昇格組が支える現在のモンペリエ

 そして若手選手や控え選手の起用は欧州カップを戦っているチームだけではなく、欧州カップから脱落したモンペリエも同様であった。モンペリエはルイ・ニコランという実業家が1975年以来、大物会長の座にあるクラブである。古くはローラン・ブラン、エリック・カントナ、カルロス・バルデラマ、そしてザスパ草津を支えてきた廣山望など、大物スター選手を大金で引っ張って来るというイメージが強い。
 ところが、2000年代に入って2部に陥落してからは方針を転換し、育成機関を充実させ、ユースチームからトップチームに昇格してきたメンバーが主流となり、2009年の1部復帰の原動力となった。そして彼ら生え抜き主体のチームは地元でも支持を集め、復活初年となる昨季の観客動員はスター選手がそろっていた時期をはるかにしのぐ1試合当たり平均1万9000人、これは5番目の数字であった。
 モンペリエの若手選手にとってリーグカップは格好の機会になった。ベスト8決定戦のアジャクシオ戦、準々決勝のリール戦も先発メンバーの半分がユースチームからの昇格組であり、期待に応える結果を出した。

■カップ戦のスペシャリストを延長戦で下したモンペリエ

 準決勝は年が明けて、1月18日と19日に行われた。1月はクラブ、代表チームとも国際試合はなく、国内のタイトルに専念できる時期である。フランスカップは2試合、リーグカップは準決勝があり、リーグ戦以外の試合が最大3試合組まれているが、リーグ戦は2試合しか予定されておらず、日程的には恵まれたコンディションであり、ベストメンバーで戦うことができる。
 モンペリエはパリサンジェルマンを迎えた。2万5000人の観衆の前、2年前のガンバルデラ杯を獲得したモンペリエの若手選手がカップ戦の巧者相手に健闘する。後半終了間際にパリサンジェルマンが退場者が出て1人少なくなり、延長戦に入り、PK戦かと思われた118分、モンペリエのオリビエ・ジルーが決勝点をあげ、1-0で勝利したモンペリエは初の決勝進出を果たした。

■決勝の相手は2連覇を目指すマルセイユ、決勝の1週間前にリーグ戦でも対戦

 その翌日、昨季このタイトルを獲得したマルセイユはオセールに乗り込む。オセールは開始早々にマルセイユのゴールを襲うが無得点、前半のロスタイムにこの試合最初のゴールを奪ったのはマルセイユのブラジル人選手のブランドンであった。昨季も準決勝で先制点を奪ったブラジル人が歴史を繰り返した。そして後半にはアンドレ・ピエール・ジニャックが追加点、マルセイユは2連覇への挑戦権を得た。
 決勝は4月23日、スタッド・ド・フランス、モンペリエにとっては初めての聖地での試合となる。実はその1週間前のリーグ戦でこの両チームはモンペリエで対戦する。今から4月の対戦が楽しみである。(この項、終わり)

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