第2482回 ストラスブール、3回目のリーグカップ制覇(2) PK戦でヒーローとなったバングルー・カマラ

 8年前の東日本大震災、3年前の平成28年熊本地震、昨年の平成30年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■地方開催3年目の舞台はリール

 1995年に実質的に始まったリーグカップの決勝戦は当初はパリのパルク・デ・プランス、1998年からはサンドニのスタッド・ド・フランスで行われてきた。しかし、3年前から地方都市の大競技場で行うことになった。地方開催初年度の2017年はリヨンのパルク・オランピック・リヨネ(現在の名称はグルーパマ競技場)、2年目の2018年はボルドーのマットミュット・アトランティック競技場で行われ、3年目の今年はリールのピエール・モーロワ競技場が舞台となる。リールはクラブの実力と都市の規模に見合った競技場がなかったが、ようやく2012年にリール郊外のビルヌーブダスクにオープンし、リールの本拠地としてだけではなく、フランス代表戦も行われ、2016年の欧州選手権にも使用され、芝の状態が論議を呼んだ。日本の皆様ならば2017年秋にブラジルとの親善試合を行ったことをご記憶であろう。そしてラグビーの国際試合も行われている。

■多くのスポーツの舞台となったピエール・モーロワ競技場

 また、本連載でもしばしば取り上げている通り、この競技場は屋根をつけてサッカーやラグビー以外のスポーツの舞台となっている。テニスに関してはフランスのデビスカップチームの大一番を行うホームとなっている。2014年11月に行われたデビスカップの決勝のスイス戦、2017年9月の準決勝のセルビア戦、さらに2018年は準決勝のスペイン戦と決勝のクロアチア戦と、わずか4年の間に4回のデビスカップの試合を迎え、そのいずれもが大観衆を集めている。
 さらに本連載では紹介してこなかったが、バスケットボールの欧州選手権を2015年に開催し、2017年にはハンドボールの世界選手権も開催している。ハンドボールの世界選手権では2万8000人というフランスハンドボール史上最多の観客を集めている。

■両チームを応援する多数のファンの前で遠いゴール

 このような多くの競技の舞台となったリールの強みはパリからのアクセスの良さであろう。パリを中心に交通網が発達しており、ストラスブールからもギャンガンからも「パリの少し先」という感覚で多くのファンが集まった。この日集まった観衆は49,161人、最多観客動員だった5年前のフランス-ジャマイカ戦の49,626人に迫る数字である。
 そのうち2万5000人から3万人がストラスブールのファン、1万5000人がギャンガンを応援するという中で試合はキックオフされた。最高の雰囲気の中での試合となったが、両チームとも下位という悲しさ、パスの成功率が低く、攻撃が続かない。白いユニフォームのギャンガンがやや優位に試合を進めるものの、なかなか得点が生まれない。ギャンガンはリーグ戦では29試合でわずか19得点とリーグ最下位であり、首位のパリサンジェルマンの86得点のほぼ5分の1に過ぎない。
 また、従来から問題となっていた芝の状態も両チームの攻撃力を落とすことになった。90分終わった時点で両チーム無得点である。準決勝までは90分間でタイスコアの場合はPK戦となるが、決勝戦のみは延長戦が行われる。

■PK巧者同士の戦いはストラスブールが制す

 延長戦になっても30分間、ノーゴール、これで欧州行きのチケットをかけた戦いはPK戦に委ねられた。ここで興味深いことであるが、両チームともこれまで4試合戦ってきたが、ギャンガンはパリサンジェルマン戦以外の3試合をPK戦で制し、ストラスブールもベスト8決定戦のマルセイユ戦はPKで勝ち抜いている。いわば両者ともPK巧者であり、ギャンガンのマルク・オーレル・カイヤール、ストラスブールのバングルー・カマラの両GKにスポットライトが当たる。
 先蹴はストラスブール、1人目のサンジン・プリチッチは成功、一方のギャンガンは1人目のアレクサンドル・マンディのキックはバーの上を通り過ぎる。2人目は両チームとも成功、ストラスブールの3人目はディミトリ・リエナール、なんとここでパネンカを決める。ギャンガンの3人目のロニー・ロデランの低い弾道のシュートをカマラがストップする。ストラスブールの4人目のリオネル・キャロルが決めて、ストラスブールが勝利する。
 120分間見どころの少ない試合であったが、PK戦ではストラスブールのカマラがヒーローとなった。今大会で2回のPK戦、9本のPKのうちネットを揺らされたのはわずか3本という素晴らしいパフォーマンスでストラスブールから駆け付けたファンを歓喜させたのである。(この項、終わり)

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