第7回 フランス、アルジェリアと初対戦(3) アルジェリア代表とワールドカップ

■1982年ワールドカップ・スペイン大会での大金星

 1962年に独立したアルジェリアの代表チームは9月に最初の国際試合を行い、平和の訪れたアルジェでモロッコを3-1と破る。また1964年の元旦には西ドイツを2-0と破るなど強豪ぶりを発揮したがワールドカップ出場への道のりは遠かった。
 サハラ砂漠に生息し、日本でも人気の子ぎつねの「フェネック」がアルジェリア代表の愛称である。アルジェリアが世界の桧舞台に初めて立ったのは1982年のワールドカップ・スペイン大会である。アフリカ予選をカメルーンとともに勝ち抜いたアルジェリアはグループBで西ドイツ、オーストリア、チリと戦う。まず初戦で優勝候補の呼び声高い西ドイツと対戦した。前半は両チーム無得点、後半に入り54分にラバ・マジェールが得点を挙げ、アルジェリアが先制。ギホンの4万2000人の観衆はどよめくが、67分にはカール・ハインツ・ルンメニゲが同点ゴールを挙げる。ところがその1分後、アルジェリアのラクダール・ベルーミが勝ち越し点を挙げ、優勝候補西ドイツを破る大番狂わせとなった。

■大金星も実らず予選落ち

 第2戦はオビエドに舞台を移して初戦でチリを下したオーストリアと対戦。前半は西ドイツ戦同様、ノーゴール。後半に入り、オーストリアの誇る攻撃陣のウォルター・シャシュナー、ヨハン・クランクルに連続ゴールを許し、1勝1敗となる。2試合を終わったところで、オーストリアが2勝(得失点差+3)、1勝1敗で西ドイツ(+2)とアルジェリア(-1)、チリが2敗(-4)となる。
 そして最終戦で、その後のワールドカップの日程に影響を与える事件が起こる。現在のワールドカップでは同一グループリーグ内の最終戦は同じ時間にキックオフされるが、このときはまずアルジェリア-チリ戦が行われ、その後西ドイツ-オーストリア戦がキックオフされた。アルジェリアはチリと対戦し前半に3点を挙げながら、後半に2点返されて、結局3-2でチリを下す。この段階でアルジェリアは2勝1敗(0)、オーストリアが西ドイツに引き分け以上の成績を残すか、西ドイツが3点差以上でオーストリアを下せばアルジェリアはアフリカ勢として初めての決勝トーナメント進出をすることになる。しかし、オーストリア-西ドイツ戦はアルジェリアイレブンだけではなく世界中のサッカーファンの期待を裏切るようなお粗末な試合だった。西ドイツが序盤から力の違いを見せつけるが、それも開始10分まで。10分にホルスト・ルーベッシュが先制点を挙げると、残りの80分はただ球をまわしているだけ。オーストリアも3点差以内の負けであれば、得失点差でチュニジアを上回り、2次リーグ進出となるのでボールを奪いに行こうともしない。結局、1-0のままで試合は終了し、ブーイングを浴びた両チームが2次リーグに進出することになり、初戦で金星を挙げたアルジェリアはスペインを去ったのである。また、このオーストリア-西ドイツ戦の反省を基に、メキシコ大会からはグループリーグの最終戦は同時に行われるようになったのである。
 アルジェリアは続く1986年のメキシコ大会にも出場する。ブラジル、スペイン、北アイルランドと同じグループDで、初戦は北アイルランド。試合開始直後にノーマン・ホワイトサイドに先制点を許すが、後半に入りジャメル・ジダンが追いつき引き分け。しかし、強豪ブラジルとの第2戦は守備陣がよく持ちこたえたが、後半に入りカレカにゴールを許し0-1の惜敗。そして最終戦は日本の高田静夫氏が主審を務めた試合であり、日本のファンの皆さんなら誰もがよく記憶している試合であろう。試合は勝てば決勝トーナメント進出となるスペインが地力の違いを見せ、3-0と完勝し、アルジェリアは勝ち星をあげることができなかった。

■2002年の2つのビッグタイトルを目指した戦い

 以後、アルジェリアはワールドカップの本大会に出場することができず、2002年大会を迎えることとなったのである。今回のワールドカップ・韓国・日本大会の予選で、アルジェリアは予備戦でカーポ・ヴェルデを破り、セネガル、モロッコ、エジプト、ナミビアと同じグループCに入る。初戦で後にワールドカップ初出場となるセネガルをアナバに迎え、1-1の引き分け、第2戦はモロッコに乗り込み1-2で敗れる。半年以上ブランクが空き、新世紀に入って1月にはグループCの中で力が劣るとされるナミビアをアルジェの7月5日スタジアム(7月5日は独立記念日である)に迎えてようやく初勝利、この時点でモロッコに次いで2位に上昇する。ここで勢いをつけたいところであるが、3月11日にカイロで行われたエジプト戦で2-5と大敗する。ここでは監督を替えるが、流れは変わらず、セネガル、モロッコに連敗、ナミビアにはアウエーでも勝ったものの、残り2節でワールドカップ出場は消えたのである。最終戦は王手のかかったエジプトをアナバに迎えて1-1で目の前のワールドカップ出場決定を阻止し、意地を見せただけであった。
 一方、アフリカ勢にとってもう一つのビッグタイトルであるアフリカ選手権は来年1月から2月にかけてマリで行われる。ワールドカップから遠のいた1990年以降に活躍し、1990年大会では優勝、2000年大会では準々決勝進出という成績を残している。こちらの予選は上位2チームが本大会出場ということもあり、ブルンジとアンゴラを抑え、ブルキナファソとともに本大会出場を果たしている。
 本大会では開催国マリ、強豪ナイジェリア、リベリアと同じグループAに入り、身体能力の高い西アフリカ勢と戦うことになる。(続く)

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