第53回 東欧の巨人ロシアと対戦(5) 新生ロシアと親善試合で1勝1敗

■ソ連の解体と新生ロシアの誕生

 ベルリンの壁崩壊後の1989年12月3日、地中海のマルタで行われたジョージ・ブッシュ大統領とミハイル・ゴルバチョフ共産党書記長兼最高会議議長の米ソ首脳会談。ソ連のスポークスマン、ゲンナジー・ゲラシモフの「冷戦は本日12時45分をもって終了した」という言葉は20世紀の名言の一つであろう。
 冷戦の終結に伴い、1917年に成立したソ連は1991年12月25日に解体され、連邦を構成していたロシアやウクライナなどの共和国が独立する。すでに1992年の欧州選手権・スウェーデン大会は予選を突破しており、本大会は独立国家共同体として出場した。
 ソ連の中核国家であったロシアとして初めての国際試合は欧州選手権後の8月17日にモスクワにメキシコを迎え、2-0で新生ロシアの門出を飾っている。

■新生ロシアに新スタジアムで勝利

 さてフランスと新生ロシアはわずか10年の歴史の中で4回も対戦し、そのうち2試合が親善試合である。まず、最初は1993年7月28日にカーンで親善試合を行った。通常、フランス代表の夏の親善試合は8月中旬に行われるが、この年は8月22日にワールドカップ・米国大会予選のスウェーデン戦があったため、仮想スウェーデンということでこの時期にロシアと対戦した。カーンのスタジアムは6月に新設されたばかりのミッシェル・ドルナノ・スタジアム。かつての環境大臣の名前を冠した新スタジアムは収容人員わずか2万人であるが評価の高いスタジアムであり、新生ロシアを迎えるにふさわしいスタジアムである。ところが、ロシア代表のメンバーの半数はロシア人ではなく他の共和国の選手である。ソ連解体後、各選手は自らの帰属を申し出、ウクライナのセルゲイ・ユーラン、アンドレイ・カンチェルスキー、ビクトル・オノプコ、ウズベキスタンのアンドレイ・ピアトニトスキ、グルジアのオマリ・テトラズの5人はロシア代表を選んだのである。事実上「旧ソ連」との対戦となったが、ワールドカップ出場に向けて突進していたフランスはゴールラッシュ。ジャン・ピエール・パパンとエリック・カントナの2トップが爆発、この2人のゴールとフランク・ソーゼの得点で3-1とロシアを倒し、新スタジアムでの勝利とソ連時代にさかのぼると実に21年ぶりの勝利を記録したのである。

■地元開催のワールドカップ前に不安感を巻き起こしたモスクワでの敗戦

 1998年3月25日には地元開催のワールドカップに向けた準備のためにモスクワに乗り込んで親善試合を行った。ロシアはワールドカップ予選で敗退しており、天候にも恵まれず、ロシア側の関心は低く、ディナモ・スタジアムに集まった観衆はわずか7000人。フランスも1月28日に行われたスタッド・ド・フランスの柿落としの試合はスペインに1-0で勝ったが、2月25日のマルセイユでのノルウェー戦は3-3の引き分け、しかもロスタイムにマルセル・デサイーのゴールでようやく追いつくという状況。肝心の攻撃陣が固まらず、モスクワ遠征にはジネディーヌ・ジダンが欠場し、エメ・ジャッケ監督は苦悩のメンバー選考。ジダンの代役にアルメニア出身のユーリ・ジョルカエフを起用、2トップは代表3試合目のベルナール・ディオメドと代表5試合目のステファン・ギバルッシュ。しかし、開始早々ユーランが代表2試合目のGKリオネル・レティジからゴールを奪い、経験不足の攻撃陣は1点を返すことができず、フランスはロシアに0-1で敗れる。この敗戦は3月後に迫ったワールドカップに向けて大きな不安感を巻き起こしたが、それが杞憂であることはこの段階では誰も気がつかなかったのである。(続く)

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