第131回 絹の道、女子ワールドカップへの道(6) 悲願達成、フランス、ワールドカップ初出場

 ついにフランスが4回目の挑戦で女子ワールドカップ初出場を決めた。11月16日にサンテチエンヌで行われたプレーオフの第2戦、フランスはイングランドを1-0で下し、悲願を達成したのである。

■第1戦に先勝し、優位に立つフランス、負傷者を抱えるイングランド

 先月17日にロンドンのセルハーストパークでの試合で1-0と勝利をおさめたフランス、アウエーで先勝し、優位に立つ。しかも、これで過去のフランスとイングランドの対戦成績はフランスの4勝2分2敗。イングランドが2勝したのは最初の2回の対戦であり、1974年以来イングランドはフランスに勝っていない。さらに、イングランドはケリー・スミス、ケイティ・チャップマンに加え、ファイエ・ホワイトも負傷のため戦線離脱し、負傷中の主将のカレン・ウォーカーも試合には出場できるが、3週間ぶりのゲームとなる。

■女子欧州選手権開催決定、因縁のサンテチエンヌ、トニー・ブレア首相のメッセージ

 しかし、これだけ不利な要素が重なっていても、19世紀の清国への進出でフランスの追随を許さなかったイングランドが、簡単にフランスの中国行きを許すはずがない。プレーオフの第1戦と第2戦の間にイングランドは2005年の女子欧州選手権の開催国となることも決定しており、是非とも今回のワールドカップには出場したいところである。
 イングランドにとってサンテチエンヌのジョフロワ・ギシャールは特別な思いのあるスタジアムである。1998年6月30日、男子のワールドカップ決勝トーナメント1回戦でイングランドはアルゼンチンと対戦した。しかしながら、デビッド・ベッカムが退場し、そしてPK戦での敗退となり、イングランドにとっては忘れられない悔恨の地である。また、フランスではジネディーヌ・ジダンが合宿を訪れたり、アーセナル所属のロベール・ピレス、パトリック・ビエイラ、シルバン・ビルトールがロンドンでの試合に駆けつけたり、男子選手が女子選手を激励するシーンがあったが、英国ではトニー・ブレア首相が2度目のワールドカップ出場を目指すイングランドのイレブンに激励のメッセージを送っている。このことからもイングランドのこの試合にかける意気込みが海峡の向こうから伝わってくる。

■フランス女子サッカー史上最多の2万3000人の観客

 さて、いよいよ土曜の昼下がりに試合はキックオフされた。急勾配のこのスタジアムに集まった観衆は2万3000人。これまでフランスにおける女子サッカーの最多観客動員数が9500人であったことを考えてみれば、イングランドだけではなくフランスにおいてもこの試合がいかに重要な試合であるかを物語っているであろう。そしてその大観衆の中にはサンテチエンヌ出身でワールドカップの優勝監督となったエメ・ジャッケ、そして現在の男子代表監督であるジャック・サンティーニの姿もある。勝利が必要なイングランドは試合開始早々から好機をつかむが、得点はならず、一方のフランスはステファニー・ムニェレ・ベゲ、マリネット・ピションなどの攻撃陣が大歓声を受けて相手ゴールを脅かすようになってきた。

■主将コリンヌ・ディアクレとベテラン選手が活躍

 試合は両チーム無得点のまま、後半を迎えた。そして54分、ムニェレ・ベゲの左からのクロスをイングランドGKのポーリン・コープがパンチングで逃れるが、そのボールを拾ったのはフランスの主将、コリンヌ・ディアクレ。ディアクレが左足でシュートしたボールはゴールの右隅に吸い込まれていったのである。残り37分で2得点が必要になったイングランドのホープ・パウエルはその名前の通り希望を託して次々と選手交代をさせるが、その甲斐もなく、1点も返すことができず、試合終了。そしてこの瞬間、フランスは中国行きが決定し、絹の道の入り口に立ったのである。
 カンヌで始まったノルウェー戦から1年1月、10試合戦ってようやく獲得したワールドカップ初出場。フランスの女子代表がこれだけ長く曲がりくねった戦いをした経験は初めてのことであろう。この「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を走破できた理由はエリザベート・ロワゼル監督を中心にディアクレ、ムニェレ・ベゲ、ピションなどの経験豊富な選手が「最後のチャンス」に向けてその力を発揮したことであろう。ディアクレは代表Aマッチ93試合出場、ムニェレ・ベゲの代表デビューは1992年(代表Aマッチ83試合出場)、ピションは代表での通算44得点(代表Aマッチ64試合出場)であり、彼女たちの出場試合数、代表デビュー歴、通算得点酢は現在の男子の代表選手が及ばない記録ばかりである。このベテランたちと若手がかみ合い、来年秋に中国で開催されるワールドカップでは韓国での悔しい思い出を忘れさせるような活躍を期待したいものである。(この項、終わり)

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