第362回 新生フランス代表発表(1) ビシャンテ・リザラズ、ジネディーヌ・ジダン引退

■注目を集めたリザラズ、バルテス、ジダンの動向

 フランス代表のレイモン・ドメネク新監督の初陣となる8月18日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦を1週間前に控え、新メンバーが発表された。新メンバーの発表の前にファンの注目は今までフランス代表を支えてきたベテラン選手たちの去就に集まった。本連載第359回で紹介したとおり、マルセル・デサイーとリリアン・テュラムがすでに代表からの引退を表明しており、年齢的には彼らに近いビシャンテ・リザラズ、ファビアン・バルテス、ジネディーヌ・ジダンらの動向が注目された。

■フランス代表最古参のリザラズが引退を表明

 まず、8月4日にリザラズが代表からの引退を表明した。1メートル69センチと小柄なリザラズの代表デビューは1992年11月のワールドカップ米国大会予選のフィンランド戦であり、欧州選手権に出場したフランス代表の中で最初に代表入りしている。以来、フランス代表のサイドバックを務め、最後のブルーのユニフォームは今回の欧州選手権準々決勝のギリシャ戦である。実に代表の出場試合はローラン・ブランと並ぶ歴代4位の97試合であり、10年以上のフランス代表生活であった。1998年ワールドカップ・フランス大会、2002年欧州選手権ベルギー・オランダ大会と二冠を達成している。2002年ワールドカップの後、半年以上代表に招集されなかったが、2003年最初のフランス代表の試合となったチェコ戦で復帰、この試合では完敗したもののその後は定着し、今回の欧州選手権も4試合中3試合に出場している。
 特筆すべきは1996年から2000年にかけて、デサイー、ローラン・ブラン、テュラムと組んだ黄金のディフェンスラインである。この4人がディフェンスラインに並んだ試合ではPK戦も含めて負けたことがなかったという記録を残している。ブランは2000年欧州選手権を花道にディディエ・デシャンと共にフランス代表を去り、残りの3人は2002年ワールドカップ韓国・日本大会で惨敗、そして2004年欧州選手権ギリシャ大会で準々決勝敗退という不本意な成績の大会が2度続き、引退することになったのである。

■四冠リザラズも年齢には勝てず

 リザラズは上記の二冠のほかに、2001年と2003年のコンフェデレーションズカップの優勝メンバーでもあり、黄金のディフェンスラインの中ではデサイーと共に四冠を獲得している。また他の3人が欧州のビッグクラブを渡り歩くのとは対照的に、国外でのクラブ歴はスペインのバスク地方のアスレチック・ビルバオに1年所属した後はドイツのバイエルン・ミュンヘンに7年間所属している。バイエルン・ミュンヘンではリーグ制覇4回、チャンピオンズリーグも1回制覇しているが、他の3人に比べれば地味な経歴であったと言えるであろう。このたび、マルセイユに移籍してきたが、古巣のボルドーとの開幕戦では体調が不十分であり、ベンチ入りすら果たせなかったことは前回の本連載で紹介したとおりである。

■ジダンもついに引退、大量4人が代表からの引退を表明

 そして8月12日、フランスの至宝、ジダンが代表からの引退を表明する。ジダンは新監督の就任以来、ドメネク監督と数度面談していたが、最終的に代表から退くことを決めたのである。ジダンの功績についてはこの連載で何度も紹介してきたので、改めて書くまでもないが、ちょうど10年前の1994年8月、当時所属していたボルドーの地で行われたチェコとの親善試合で途中交代出場し、劣勢の試合でいきなり2得点を奪い、衝撃的なデビューを飾る。以来ちょうど10年間、フランス代表の司令塔として活躍し、負傷のため思うような活躍ができなかった2002年の韓国では皮肉なことにその存在の大きさを認識させた。
 このようにデサイー、テュラム、リザラズ、ジダンの4人が代表から引退を表明する。2002年のワールドカップでのグループリーグ敗退の際は、自ら代表からの引退を申し出た選手はユーリ・ジョルカエフ、クリストフ・デュガリー、フランク・ルブッフの3人だけであった。世代的な問題もあるが、今回はワールドカップを上回る成績でありながら、その時以上の数の選手が引退を申し出て、大幅な選手の世代交代が行われたのである。(続く)

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