第401回 マルセイユ、秋の変 (1) 世界一決定戦に出場できず、今季は宿敵に連敗

■フランス勢が出場できなかったインターコンチネンタルカップ

 今年で25回目を迎え、最後となる日本でのインターコンチネンタルカップ。10年ほど前までは欧州ではその結果が新聞の片隅に掲載されるだけであったが、近年は写真入りで報じられるようになった。大会の成長とともに世界クラブ選手権へと発展的解消を遂げていくのであろう。最後の欧州からの代表はポルトガルのポルトであるが、欧州代表を決定するチャンピオンズリーグの決勝で惜しくも敗れたのがフランスリーグのモナコである。実はフランス勢は40年の歴史のインターコンチネンタルカップに一度も出場を果たすことができなかったのである。惜しくも出場を逃したのは今年のモナコばかりではない。なんといっても1993年のチャンピオンズリーグ決勝でイタリアのACミランを破りながら、八百長疑惑で欧州チャンピオンの称号を剥奪されたマルセイユこそ、一度はこの世界の舞台での活躍を見てみたかったチームである。

■欧州王座に最も近かったビッグクラブ・マルセイユ

 1980年代終盤から戦力を補強したマルセイユは国内外で無敵を誇り、ユーゴスラビアのレッドスター・ベオグラードからドラガン・ストイコビッチを獲得した1990-91シーズンは特に期待が高まった。その1991年は危なげなく決勝に進出、決勝ではレッドスター・ベオグラードを終始圧倒しながら、延長でもゴールを奪うことができず、PK負け。そしてその前年は準決勝でポルトガルのベンフィカと対戦し、審判の誤審に泣いている。欧州のビッグクラブでインターコンチネンタルカップに出場することができなかったチームは少なくないが、その中で最もインターコンチネンタルカップ出場に近かったのがマルセイユであることに異議はないであろう。

■タイトル剥奪以降、国内外のタイトルと無縁

 そのマルセイユは、1993年にはチャンピオンズリーグだけではなく国内リーグも制覇し、国内外の最高のタイトルを両手にしたかと思われたが、そのタイトルは2つとも奪われてしまった。ここからマルセイユの低迷が始まった。実にそれ以来11シーズン、国内外のタイトルを獲得していない。国内ではリーグ優勝だけではなくフランスカップやリーグカップも獲得することができず、今日を迎えているのである。
 サッカーの都・マルセイユは熱狂的なファンで知られるが、前回までの本連載で紹介したとおり、現在では、年に1度ラグビーのフランス代表をベロドロームに迎える際の熱狂には及ばない。ベロドロームとスタッド・ド・フランスの違いはただ一つ、そこを本拠地とするクラブの有無だけである。週末の主役こそオランピック・ド・マルセイユは譲ってはいないが、ベロドロームが最も熱く燃えるのは、ラグビーの国際試合であるという事実は認めざるを得ない。

■宿敵パリサンジェルマンに4日間で2敗

 そのマルセイユは今季も期待されながら、順位表の最上位に位置するに至っていない。上位に位置しているものの、宿敵パリサンジェルマンとリーグ戦、リーグカップで対戦し、いずれも敗れている。11月7日のリーグ戦はアウエーの対戦であったが、パリサンジェルマンは退場者を出しており、マルセイユは勝利を逃がしてしまった。
 そしてその3日後、今度はベロドロームでリーグカップのベスト16決定戦で対戦する。地元マルセイユはブルーノ・ペドレッティ、アビブ・バモゴのゴールで2-0とリードするが、前半ロスタイムにブランコ・ボスコビッチにゴールを献上し、折り返す。後半に入って55分にボスコビッチに同点ゴールを許してしまう。ボスコビッチは昨年夏にレッドスター・ベオグラードからパリサンジェルマンに移籍してきた選手である。どうもレッドスター・ベオグラードはマルセイユにとって相性の悪いチームである。試合はこのまま両チーム無得点が続き、延長戦に突入かと思われたロスタイム、パリサンジェルマンのベルナール・メンディが決勝点をあげる。マルセイユは宿敵パリサンジェルマンに4日間で2回負けると言う失態を演じた。この連敗にファンはもちろんクラブの幹部も怒りを爆発させたのである。(続く)

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