第491回 荒れるフランス、コンゴ人民民主共和国-チュニジア戦が中断

■非常事態宣言下、混乱なく終わったフランス代表戦

 パリ郊外で発生した暴動はパリ以外の地域にも拡大し、ついに8日には12日間の非常事態宣言まで出された。この間、フランス代表はマルティニック、スタッド・ド・フランスで試合を行ったが、特に暴動が頻発しているエリアの近くであるサンドニのスタッド・ド・フランスでの試合は通常以上の警備の中で行われた。試合はスコアレスドローであったが、ピッチ以外でもこれといった混乱はなく、フランス治安当局は胸をなでおろしているところである。
  しかし、サッカーの試合はこのドイツ戦だけではない。毎週数多くの試合が国内各地で行われている。サッカー場という人が集まり、興奮しやすいところで暴動を起こそうと企んでいる若者がいないわけではない。ましてやその試合が国内のクラブチーム同士の対戦ではなく、外国のチーム、とりわけ今回の暴動の主の出身地であるアフリカのチームの試合となればなおさらである。

■11月中旬に3試合予定されたアフリカ諸国の親善試合

 本連載の第164回と第165回でも紹介しているとおり、フランス国内でアフリカのチームが国際試合を行うケースは非常に多い。これにはいくつか理由があるが、まず、アフリカの代表レベルの選手の多くがフランス国内のクラブに所属していること、そして多くのアフリカの代表チームの監督がフランス人であること、さらに国際試合を開催するに当たりフランスの方が本国よりも整備されていること、などあげることができる。
  来年のワールドカップ出場権をめぐってプレーオフを戦っているのはわずか10チーム、それ以外の国は出場権のあるなしに関わらず、この11月中旬に国際親善試合を組んでいる。フランス国内では12日のフランス-ドイツ戦だけではなく、11日にコンゴ人民民主共和国とチュニジアがパリのシャルレティ競技場で行われるほか、12日にはルマンでコートジボワールとルーマニアが対戦する。さらに、15日にもモロッコとカメルーンがシャルレティ競技場で対戦する。この中でチュニジアとコートジボワールはワールドカップ出場を決めており、それ以外の国も来年のアフリカ選手権を照準に絶好の強化の機会と考えている。また、コートジボワールは訪日の予定もあったが、フランスでルーマニアと対戦するほうがよいと判断してルマンでの試合を選択したのであろう。

■3度のファンのピッチへの乱入により試合が中断

 さて、3試合の中の最初のコンゴ人民民主共和国-チュニジア戦で事件は起こった。ロジェ・ルメール率いるチュニジアとクロード・ルロワ率いるコンゴ人民民主共和国の試合に1万2000人の観衆が集まった。もちろんその多くはこの両国出身でパリ在住の人々である。試合は激しくスコアが動いた。19分、コンゴ人民民主共和国が先制点、ところがその直後、チュニジア人のファンがピッチに降りる。26分にチュニジアが追いつき、折り返す。後半に入り、57分にコンゴ人民民主共和国が再びリードし、今度はコンゴ人民民主共和国のファンが興奮してピッチに降りる。試合は中断したが、再開され、65分にチュニジアが同点ゴールを決めると、チュニジア人ファンに続き、コンゴ人民民主共和国のファンもピッチに入り、石を投げるなどの暴挙に出る。選手は逃げ回り、試合は収拾がつかなくなり、フランス人の主審パスカル・ガリビアン氏は選手を控え室に避難させるとともに、試合の中断を宣告する。フランスのサッカー界にとっては本連載第5回から第12回で紹介した2001年10月6日のフランス-アルジェリア戦以来のスキャンダルとなった。

■モロッコ-カメルーン戦は非公開試合に

 さらにコンゴ人民民主共和国の選手が2人、投石によって負傷している。警察当局によると、競技場外では特段の混乱はなかったが、この影響で15日に同競技場で予定されていたモロッコ-カメルーン戦はフランス代表の合宿所であるクレールフォンテーヌで非公開で行われることになった。
  ピッチに下りた両国のファンのほとんどの年齢は若く、今回フランス各地で暴動を起こした若者と同一視できる。多くの両国の出身者とその子弟が競技場に集まったが、ピッチに下りた若者の父母、あるいは祖父母は職を求めて故国を離れ、フランスにやってきた。彼らにとって自分の住む町での代表チームの試合は最高の楽しみであり心の支えである。そのような彼らの父母、祖父母の楽しみを奪った若者の行為に憤りを感じるとともに、強く反省を望みたい。(この項、終わり)

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