第884回 オリンピックで活躍したフランス勢(3) ジェラール・ジリ監督と4人のフランス人審判員

■北京のサッカー競技に関わった5人のフランス人

 前回と前々回の本連載では北京オリンピックに出場したフランスのクラブに所属する選手を紹介した。フランスのクラブから14人がアフリカ3か国とベルギーの代表として北京で活躍した一方、マルセイユが1人、ナントが2人の選手派遣を断ったことを紹介した。
 サッカーは選手だけでは成り立たない。北京オリンピックにはフランスは男女ともチームを送ることができなかったが、サッカー競技で活躍をしたフランス人が5人いたのである。

■コートジボワール代表のジェラール・ジリ監督

 選手6人を擁するコートジボワール代表の監督を務めたジェラール・ジリはフランス人監督であり、本連載でもしばしば紹介している。マルセイユ生まれのGKで、選手生活の最初と最後をマルセイユで過ごし、現役引退後の初めての監督経験は黄金時代のマルセイユである。その後他のクラブチームとマルセイユの監督を務め、1999年にはエジプト代表の監督になっている。これがジリにとって初めての代表スタッフであり、初めての国外での経験であった。2004年にはコートジボワール代表のコーチを務め、2006年には23歳以下代表の監督となり、北京オリンピック予選を戦い、本大会出場に導いている。そして今年の初め、アフリカ選手権を控えたフル代表のドイツ人監督のウーリッヒ・シュティーリケ監督が家族の病気のために辞任し、急遽フル代表を率いることになったことは本連載第812回で紹介している。そして本大会の2週間前の監督交代と言う中で、コートジボワールは4位に入り、ジリの手腕は高く評価されたのである。
 ジリは再びオリンピックチームの監督に専念し、5月にはトゥーロン国際トーナメントの3位決定戦で日本とも対戦している。北京では前々回の本連載で紹介したとおり、若手選手を率いてグループリーグを突破している。16か国参加のうち、フランス人監督は1人と言うのはワールドカップなどに比べれば少ない気がするが、ジリは2006年にもアンリ・ミッシェルの後任としてコートジボワールのフル代表の監督の話もあった人材であり、今後の去就に注目したい。

■男子サッカーに出場した3人のフランス人審判員

 これまでのワールドカップや欧州選手権で必ずフランス人審判員がいたが、今年スイスとオーストリアで開催された欧州選手権では初めてフランスから審判が選出されないと言う事件が起きた。これまで多数の優秀な審判を輩出してきたフランスであるが、近年の国内リーグでの審判のレベルダウンについては目を覆わんばかりの状況である。UEFAがフランス人審判を選ばなかったのは残念ながら妥当な判断であろう。
 今回の北京オリンピックの男子サッカーについては主審15人、副審30人の合計45人の審判員が選出されたが、フランスからは主審としてステファン・ラノイ、副審としてフレデリック・カノ、エリック・ダンソーが選出された。オリンピックの審判は選手同様、若手あるいは経験の少ない審判が選出されている。ラノイ主審は1969年生まれであり、国際審判になったのは一昨年のことであるが、選手からの信頼も厚く、2007-08シーズンに選手会から男子最優秀審判に選出されている。またフランスから審判員が選ばれなかった今年の欧州選手権では第四の審判として参加している。
 ラノイ主審、カノ、ダンソー副審と言うセットはブラジル-ニュージーランド戦の審判団を務めている。また、ラノイ氏は準々決勝のオランダ-アルゼンチン戦でも第四の審判を任されている。

■女子審判として選出されたカリン・ビーブ・ソラナ女史

 また、女子サッカーもフランスは予選で敗退し、出場していないが、女性審判として2007‐08シーズンの女子最優秀審判に選ばれたカリン・ビーブ・ソラナ女史が選出され、グループリーグのノルウェー-米国戦や準決勝の日本-米国戦で副審を務めている。男子に比べレベルの低いフランスのサッカー界からオリンピックに審判員が選出されたことの意義は小さくない。
 このように審判員のレベルダウンが問題となる中で、フランスの若手の審判が北京の地で活躍したことは明日のフランスサッカー界の礎となるであろう。(この項、終わり)

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