第1064回 2010年アフリカ選手権(5) ガボン代表監督、アラン・ジレス

■主要個人タイトルを独占したエジプト勢

 前々回ならびに前回の本連載ではフランスのクラブに所属する選手のアフリカ選手権での活躍ぶりを紹介したが、フランスとは縁の薄いチームが上位を占め、大会の最優秀選手はアメド・ハッサン得点王は5得点のモハメド・ネギ・ゲド、そして最優秀GKはエサム・エルハドリとエジプト勢が独占した。
 ベストイレブンについてもフランスのクラブに所属している選手はガーナのアサモア・ギャン(レンヌ)だけであった。フランスは、大会に出場している選手の所属チームの国別分布では最多となる59人を送り込んでいるが、その中で表彰されたのが1人だけというのは寂しい気がする。また前回の本連載で紹介したアルジェリアのマジド・ブゲラもベストイレブンに選出された。ブゲラは現在グラスゴー・レンジャーズ(スコットランド)に所属しているが、以前はグーニョンに所属していた。ブゲラのようにかつてフランスのクラブに所属していた選手でベストイレブンに入ったのは、他にはナイジェリアのピーター・オデンウィンギー(ロシアのロコモティフ・モスクワ、かつてはリールに所属)だけである。フランスのサッカーファンとしては物足りない大会となった。

■2人のフランス人監督

 そしてこの大会はフランスのクラブに所属する選手だけが注目を集めるだけではない。毎回多くのフランス人監督がアフリカのチームを率いているのである。今大会にはフランス人監督が2人だけ出場した。カメルーンのポール・ルグアンとガボンのアラン・ジレスである。2人の共通点はフランス代表の名選手であるということである。

■「フランスの伊東輝悦」と言われるアラン・ジレス

 ジレスは1952年生まれ、身長163センチと小柄であったが、フランス代表として1982年と1984年のワールドカップ、そして1984年の欧州選手権の主力メンバーとして活躍しており、フランス代表の最初の黄金時代を築いた選手である。
 また、ボルドーに長年所属し、1984-85シーズンにはチャンピオンズカップで準決勝に進出、準決勝ではフランス代表の黄金期を築いたミッシェル・プラティニのユベントス(イタリア)と戦っている。そして1985年の初めには訪日し、神戸と東京で日本代表と戦っていることから日本のファンの皆様もよくご存じの選手であろう。フランスリーグには通算で586試合に出場している。これはフィールドプレーヤーとしては歴代最多である。(GKとしてはジャン・リュック・エトリの602試合が最多)「フランスの伊東輝悦」と称してもおかしくない選手であろう
 現役の晩年は低迷していたマルセイユに移り、選手としてのキャリアを1988年に終えたが、1986年のマルセイユへの移籍は2部落ちした名門マルセイユを立て直すために大物会長のベルナール・タピが有力選手をスカウトしたからである。タピがまず獲得したのがボルドーのジレスとシュツットガルト(当時西ドイツ)に所属していた西ドイツ代表のカール・ハインツ・フォスターであった。マルセイユはボルドーにこの年のフランスカップ決勝で敗れたばかりであり、西ドイツにはフランスがメキシコワールドカップの準決勝で敗れたばかりである。そのように地元ファンにとっては仇敵とも言えるチームから主力選手を獲得したタピという男の手腕なしにマルセイユは復活しなかった。ジレスはマルセイユではこれといったタイトルは手にしていないが、ボルドーのファンだけではなく、マルセイユのファンにとっては忘れられない選手である。

■ガボンを10年ぶりの本大会に導いたジレス

 そのジレスの引退後のキャリアであるが、1995年にトゥールーズの監督に就任する。2年半トゥールーズの監督を務めた1998年にパリサンジェルマンの監督に招聘される。ビッグクラブの監督として期待されたが、リーグ戦では振るわず、さらにカップウィナーズカップでは格下のマッカビ・ハイファ(イスラエル)に敗れ、再びトゥールーズに戻る
 現役時代からロジェ・ミラ(カメルーン)などと親交の深かったジレスは2001年にモロッコのラバトの監督になる。これがアフリカとの出会いである。そして2004年から一時期欧州に戻りグルジアの監督を務めたのち、2006年にガボンの監督となり、2010年のアフリカ選手権出場を果たした。ガボンにとってアフリカ選手権出場は、2000年大会以来5大会ぶり4回目の快挙だったのである。(続く)
 

このページのTOPへ